「独立不羈こそ大学の命」と主張する大学教授、恥ずべきは己の無知と補助金頼りの大学運営では?

 岐阜大学(国立)の森脇久隆学長が国歌『君が代』を斉唱しない方針であると述べたことに馳浩文部科学相が「恥ずかしい」とコメントしたことを朝日新聞が報じています。

 その件について、政治学者の山口二郎氏(法政大学法学部教授)が「独立不羈こそ大学の命」と自身のツイッター上で批判しています。ですが、彼の意見は失笑を買うだけに留まることでしょう。

 

画像:山口二郎氏によるツイート

 独立不羈こそ大学の命。恥ずかしいとコメントするのは、大学を支配下に置きたい権力者の発想。真の愛国者なら、儀式で君が代を恰好だけ歌うという愛国の形骸化に怒るべき。

 上記のように山口氏は発言しているのですが、国から予算を受けている中で国歌斉唱を拒否することは “独立不羈” とは言いません。単なる活動家のわがままです。

 独立不羈(どくりつふき)とは、「他からの束縛を全く受けないこと」を意味するのですが、国がスポンサーとなっている以上は国からの意向は最大限尊重しなければなりません。それを拒むのであれば、まずは独立採算制を導入し、身の丈に合った大学運営をすべきです。

 

 北海道大学でも山口氏は教鞭を採っていたようですが、経営やビジネスは専門外なのでしょう。

 例えば、民間企業で株主の意向に反し、経営陣が好き勝手に経営を行うことは “背任” に当たります。大学で教える経営学の基礎的な部分で触れる内容だと思いますが、ご存じなかったのかも知れません。

 大学のような「学問の自由」を声高に叫び続けるような人達の中にいますと、「頭の良い自分たちが高貴な学問をしているのだから、それに見合った研究資金を用意しろ。それから、我々の研究内容には一切口出しするな」という驕りを持った “痛すぎる人物” が多数いるような印象を受けます。

 費用に見合っただけの効果を出せている大学教員はどれほどいるのでしょうか。自前で研究資金を調達するなら、他人が研究内容に口を出すことは問題と見なされることでしょう。

 しかし、国からの資金(=国民の税金)がつぎ込まれているのですから、税金の使い道を決めている政府の方針に従うことは当然です。「政府方針がおかしい」というなら、自らの研究分野で行いたい方針を国民に向けてアピールし、有権者を説得すれば済むことです。

 

 大学運営は『国からの給付金』に頼り、大学に通う学生は学生ローン(≒奨学金)という『国からの貸し付け』に頼っている現実を直視すべきでしょう。

 このサイクルで絶対に損をしない立場にいるのは大学教員だけであり、役に立たない彼らを雇用することはプラスにならないことを知る必要があります。学業に貢献せず、デモ活動にのめり込み「お前は人間じゃない!叩き切ってやる!」と発言するような人物を雇用することに疑いを持たない大学に未来はないと見切る時期に来ています。

 専門分野でも誤りが簡単に指摘される世の中になったのですから、専門外のことに言及する際はその確率が桁違いに上昇することを肝に銘じておく必要があると言えるでしょう。