憲法・放送法の“条文”を破っている自称言論人が「憲法・放送法の “精神” に反している」と主張する

 『放送法』という法律が日本には存在するのですが、法律違反した放送局の免許を法律に基づき剥奪する可能性があることを答弁した大臣の姿勢に批判の声を上げている人たちがいます。

画像:放送法を守れない言論人たち

 

 放送法4条では「政治的に公平であること」が明記されていますが、仮にどれだけ政治的に偏った不公平な放送を行ったとしても放送免許が剥奪されないのであれば、それは “免許” と呼べるものではありません

 「日本には表現の自由があり、放送法4条にある政治的な公平性を強いるのはおかしい」と主張するのであれば、理解できます。しかし、(管轄する)高市総務相に対して批判の声を上げるのは明らかに間違っています。

 現在のテレビ局は放送法で新規参入から守られている市場の寡占が許されている立場です。それにも関わらず、「公平性を担保しない放送を許可せよ」と主張するスタンスは非常に身勝手なものと言えるでしょう。

 彼らは政府からの圧力で放送が萎縮するなどと主張していますが、なぜ「自分たちは公正中立な報道を行っている」と反論しないのでしょうか。それすらできないのであれば、『報道』を名乗るべきではありません。

 

 また、政府も「メディアが報道の自由を守れ」などと主張するのであれば、彼らを自由競争の波から守ってあげることを止めれば良いのです。

 例えば、アナログ放送で用いられていた VHF 帯は “広大な空き地” と化しています。その帯域に100局前後で放送免許を交付すれば、十分でしょう。そうすることで、視聴者は多様なチャンネルの選択権が与えられますし、法律で(政治的に)公平中立な内容を求める必要もなくなります。

 自由競争が行われている市場で『アンチ自民党チャンネル』が結果的に 40% を占めたとしても問題ではありません。それが民意として受け止められることでしょう。

 しかし、現状では政府からの規制に守られている放送局が「身勝手な放送をしていること」が規制を設ける放送法に違反しているのです。

 

 現行の放送法が嫌なら、法改正を正面から主張するか、放送法の範囲外であるインターネットなどで放映すれば良いことです。放漫な要求をしていると一般に見透かされている現状では、彼らが支持されることは少ないのではないでしょうか。