批判的な意見を述べる人物を “ハエ” と見なすなら、批判の矛先がどういう立場であるかを考えよ
過去に安倍首相へのレッテル張りを行った朝日新聞の冨永格編集委員が自身のツイッターに物議を醸す投稿を行っていたことが明るみとなりました。
残念なことに、彼の学習能力は著しく低下していたと思わざるを得ないものがあります。冨永氏の行ったツイートは以下のようなものでした。
だめだ、ブロック1回やるとクセになる。
ハエ叩きの快感。
今回の冨永氏についても過去に伏線がありました。
2015年8月に自身のツイートで「私はどんな方でもブロックだけはしません」と宣言していたにも関わらず、安倍首相へのレッテル張り事件以降に(自身や朝日新聞に対して)手厳しい意見を寄せたユーザーを中心にブロックし続けていることがネット上で指摘されていたのです。
そして、ブロックすることが常態化していた時に、上記ツイートを投稿してしまったという経緯があります。
冨永氏が自身の宣言内容である「ブロックはしない」とは真逆の対応をしている証拠が突きつけられた以上、説明責任があるでしょう。
いつも政治家の姿勢や発言に対して説明を求めているのですから、自身に寄せられた質問に対して回答する義務があることは言うまでもないことです。なぜ、回答しようとしないのでしょうか。
「同じような意見が大量に来て、うっとおしいから」というのであれば、そう述べれば済むことです。「メディア関係者がそのような発言をできる訳がない」と本心で思っているのなら、ミュート機能を使っていれば、波風が起きることはなかったと思われます。
冨永氏には批判者を “ハエ” と揶揄する自由はあります。ですが、メディア・言論関係者として、“ハエ” と揶揄した人々を寄せ付ける自分自身や所属組織の立場を第三者の視点で見る必要があると言えるでしょう。
冨永氏自身や朝日新聞は “ハエが集る程度の存在” だと言いたいのでしょうか。だとしたら、シニカルなジョークとしてウケるかもしれません。しかし、真面目に取材活動をしている記者たちからすれば、迷惑以外の何物でもありません。
自らを無謬の存在であると考えがちな勘違い記者が組織に多大な迷惑をかけ続けていることを少しは自覚する必要があるのではないでしょうか。