日本政府に過去の戦争責任を問うのであれば、アメリカ政府にも原爆投下責任を問うべきだ

 アメリカのオバマ大統領が伊勢志摩サミット後の5月27日に安倍首相とともに広島を訪問することが公式発表されました。

 「(原爆投下による被害への)謝罪であるかどうか」が焦点の1つとしてメディアで取り上げられていますが、責任の是非を問うことに対しては同じ基準で論じなければなりません。

 例えば、「日本政府には過去の戦争責任を問い続けるが、アメリカ政府には問わない」という姿勢は明らかなダブルスタンダードとなります。ところが、“クオリティーペーパー” を自称する朝日新聞は5月11日付の社説でそう主張しているのです。

 

 オバマ氏はプラハ演説で、原爆投下国としての「道義的責任」に言及したが、今回の広島訪問では「謝罪」ととられかねない言動は避けるとみられる。

 それでも、原爆死没者慰霊碑に献花するなど、米大統領が犠牲者に追悼の意を示すことは、日米両国の関係において重い意味を持つだろう。

 (中略)

 米大統領の被爆地訪問は、日本の戦争責任をめぐる論議を再燃させる可能性がある。韓国や中国ではすでに「加害者である日本を被害者にするものだ」といった反発の声が聞かれる。

 オバマ氏を広島に迎えることは、日本の政治指導者も、過去の戦争責任をどう受け止めるべきか、改めて考える機会としなければならない。

 

 朝日新聞の社説を読んだリテラシーの高い人々は間違いなく、「先の大戦時を煽った立場にあった朝日新聞は自らの戦争責任をどう受け止めているのか」と疑問を持つことでしょう。

 自らの報道責任については謝罪も反省もせず、中国や韓国の代弁者として日本政府の戦争責任だけを問い続けているのですから、報道機関と言うことはできません。報道機関であるなら、すべての国や組織に対して戦争責任の受け止め方を問い続けなければならないのです。

 

 戦後に当たる1961年生まれのオバマ大統領が1945年に集結した第二次世界大戦の責任を負う必要はありません。

 もし、「原爆投下をしたアメリカ人の子孫として罪を償うべき」などと主張すれば、それは出自に基づく明確な差別であり、朝日新聞などのリベラルが反対する “レイシズム” そのものなのです。

 ところが、不思議なことに「アジアへの戦争責任」を理由に日本のリベラル界隈は「今の日本人が罪を償い続けるべき」と主張しているのです。これは明らかに差別なのですが、“反レイシズム” を掲げる人々は自らがレイシスト(=差別主義者)になっていることに気づいていないことが滑稽だと言えるでしょう。

 アメリカ政府に原爆投下の責任を問いたいのであれば、戦後から一貫して問い続けていることが最低条件となります。

 

 道義的責任を求めるのであれば、「厚労省が行っている『原子爆弾被爆者対策』の資金はアメリカ政府が拠出すべきだ」と主張しているべきでしょう。

 「原爆で亡くなった方々へ哀悼の意を示すのであれば、原爆による後遺症を患っている人々に対しても “見舞金” を拠出するなどの対応をすべきではないか」と問うことがジャーナリストやリベラル派に求められていることなのではないでしょうか。