勉強についていけなくなった学生に奨学金を出す必要性はあるのか

 メディアでは「奨学金を借りたことで、苦しい生活を強いられている」というストーリーばかりを強調していますが、肝心の学生がどういった成績で卒業したのかまでスポットが当たったニュースはあまり目にする機会はありません。

 その中、「大学1年で卒業時の成績が決まる」との調査結果が出たと毎日新聞が伝えています。

 

 大学卒業時の成績は1年終了時の成績とほぼ一致し、入学試験の結果とは相関関係がみられないことが、東京理科大学(東京都新宿区)が同大の学生を対象に実施した調査で明らかになった。担当した山本誠副学長は「特に1年の6月第1週の出欠状況が、その後の学生生活を左右する」と話している。

 

 調査を行ったのは理系学部が軸である東京理科大学で、大学卒業時の成績は入試の結果ではなく、大学1年終了時の成績とほぼ一致すると結論づけています。

  • 年度・学科を問わず、入試形態・点数と卒業時の成績には相関関係がない
  • 1年終了時の成績と比較すると、卒業成績との関連性がある
    → 1年終了時に成績上位の学生は良い成績で卒業

 入学時点での成績と卒業時での成績に相関関係がない理由はいくつかの理由が考えられます。

 特に入試は一発勝負の色合いが強く、普段の実力からの “ブレ幅” が大きくなる傾向があるからです。緊張で本来の力が出せなかった学生の入試成績は悪くなりますし、逆に本番に強いタイプやヤマが当たった学生の成績は良いものとなるでしょう。

 しかし、大学での成績は一発勝負ではなく、普段からの積み重ねがベースになる “リーグ戦形式” ですから、積み重ねが苦手なタイプは伸び悩むことになるのです。

 

 日本の大学は「入るのは難しいが、出るのは簡単」と言われて来ました。それが大学全入時代へと移行し、“入ること” も容易になりつつあるのですから、大学を卒業しただけでは不十分な時代となったのです。

 奨学金の返済に苦しむ学生は「大学に入ることが目的化」しているのではないでしょうか。「大学に入れば、大手一流企業や公務員に就職できる」と思い込んでいる様子がにじみ出ている人もいます。

 学業で優秀な成績を残しているにもかかわらず、正当に評価されなかったと言うのであれば、同情論も広がることでしょう。しかし、「大学は遊んでいても卒業できるよ」という年配者の助言を真に受け、学業がおろそかになったのであれば、自業自得と言わざるを得ません。

 貧困に苦しんでいる家庭だからという理由で「大学の授業についていけない生徒」や「学ぶ意欲を失った生徒」に奨学金を出す必要はどこにあるのでしょうか。所得によって一律に奨学金を出すということはこういった家庭の子供たちに税金が投入されることも意味しているのです。

 授業についていけなかった学生は会社の業務を円滑に進めるためのプロセスやマニュアルを理解することに時間を要すると思われますし、学ぶ意欲を失った学生は会社の仕事内容への興味も失う可能性があるとネガティブに見られてしまいます。

 厳しい現実を何も知らない学生にあえて教えないことも “やさしさ” ということもできるでしょう。しかし、それによって不幸になるのは当の学生です。

 

 学校側は「良い就職先」や「良い進学先」といったアピールができ、求めているだけの新入生が確保することが優先事項なのです。

 学校のパンフレットで紹介されるような就職先に進んだ卒業生はおそらく学校でもトップクラスに位置していた学生のはずです。そうでなければ、スポーツやコネなど学力とは異なる大きなアピールポイントを持っていたと見るべきでしょう。

 大学生の新卒採用では「何を大学で勉強したのですか?それを弊社でどう活用し、どのぐらいの利益をもたらしてくれるのですか」という質問が来ることは想定の範囲内です。

 この問いに対し、根拠に基づく説得力のある回答ができない学生が採用にたどり着くのは困難と言えるでしょう。もし、その学生が奨学金を背負っているのであれば、苦難にあふれた社会人生活が待っていることは言うまでもないことです。