議論を求めるだけのメディアが衰退するのは当然のことだ

 毎日新聞が6日付の社説で、導入が急ピッチで進められているデジタル教科書に対し、導入を急ぐ前に広く議論すべきだと主張しています。

 この姿勢がメディアの衰退を招いた原因の1つと言えるでしょう。

 

 小中高校生らがタブレット端末に入った教科書のデータで学ぶ「デジタル教科書」が、2020年度から導入される見通しだ。文部科学省の有識者会議が中間報告をまとめ、実施とデジタル教科書の位置づけについて大まかな方向性を示した。

 だが、課題や不安要素も少なくない。そもそもデジタル教科書がなぜ必要なのか、認識が広く共有されているとは言いがたい。

 (中略)

 効果にせよマイナスの影響にせよ、本格的な実証データはない。部分的な導入後に段階的に広げながら検証研究も進めるというが、見切り発車にならないか。

 

 実証データがないのだから、“見切り発車” になるリスクがあると懸念する社説となっています。しかし、主張する内容が「議論をすべきだ」と述べるだけであり、それだけでは意味のないことです。

 議論をすることよりも重要なことは結論を出すことであり、導き出した結論に責任を持つことができるかなのです。

 

 結論を出せるかは社会に出るとその重要性を痛感させられることが非常に多くなります。ビジネス分野では「A案のプロジェクトとB案のプロジェクトのどちらを選択するか」という場面に遭遇することもあるでしょう。

 そこで、「議論を尽くすべき」と主張し、結論を出すことよりも議論を行うことに重きを置けば、それだけ遅れをとることになります。刻々と変化するビジネス環境に身を置いている人々は迅速な経営判断がどれだけ重要であるかは痛感しているはずです。

 基礎を少しかじった程度の知識しか持たないメディアが「議論を尽くすべき」と様々な分野に口を出している現状がネットを通して浮き彫りになっているのですから、ネットリテラシーを持っている人々からすれば、意味のないことと看破されてしまうのです。

 デジタル教科書についての効果を疑問視するのであれば、『教育特区』に名乗りを上げる自治体を募り、そこでどのような効果が発生したのかを確認することを提案すべきでしょう。その上で、メリット・デメリットを洗い出し、問題点を解決できるのかを模索した後に、本格導入の是非を決断すべきだと訴えるべきなのです。

 

 デジタル教科書の導入に文句を付ける暇がある毎日新聞は自社のウェブサイトで日本を陥れる記事を長く掲載していた問題について、掲載する前に広く議論したのでしょうか。

 議論することすらしない毎日新聞にデジタル教科書導入に対する議論を訴える資格すらないことが現状と言えるのではないでしょうか。