「日本人だから安全」という主張は “お花畑サヨク” にだけ通用するロジックだ

 バングラデシュで日本人などが巻き込まれるテロ事件が発生しましたが、「中立な日本人は安全な立場にいる」と考えている人たちがいるようです。

 「日本人だ」と叫んだ人も事件に巻き込まれたことを朝日新聞が伝えています。しかし、そのロジックが通用するのは日本国内のごく一部であることを知る必要があります。

 

 1人が門から店の敷地に入ると、すぐ近くにいた日本人男性が「私は日本人だ!」と英語で3回叫び、「どうか、撃たないでくれ」と懇願していた。男たちは屋外席にいた客らに発砲すると、店内に入った。

 

 “お花畑” と揶揄される人達の価値観からすれば、日本人はテロリストに襲われることはないという認識でしょう。なぜなら、平和を愛する日本人は中立的な立場であり、敵ではないという考えを持っているからです。

 しかし、それは日本の平和主義者による価値観であり、テロリストの価値観とは異なります。

 例えば、“イスラム過激派” に分類される勢力は自国に『厳格なイスラム国家』を樹立することを目標としているケースが多く見られます。そのため、彼らの視点では「味方は自国民かイスラム教徒」という定義になるのです。

 

 このことを図示すると、以下のようになります。

画像:イスラム過激派による敵・味方の分類例

 イスラム原理主義の過激派から攻撃されない日本人は確かに存在します。ですが、その理由は「平和を愛する日本人だから」というものではありません。ほとんどの場合は「イスラム教徒(の日本人)であるから」というものでしょう。

 “イスラム過激派” が起こしたテロ事件では、イスラム教徒を手に掛けることを避けるため、犯人が攻撃対象を選別していたという証言がメディアで報じられているケースがあるからです。

  • ムハンマドの母親の名前は?(ケニアショッピングモール襲撃事件)
    → 答:アーミナ(Aminah)
  • コーランの一節を述べよ。(バングラデシュでの襲撃事件)

 「イスラム教徒であれば、テロの対象から外された」という事件も存在すれば、無差別的な攻撃を加えている事件もあります。バグダッドで頻発している自動車爆弾テロやパリ(フランス)やブリュッセル(ベルギー)で起きたテロ事件はこのタイプに分類されることでしょう。

 

 「日本人は安心のブランドではなくなったのか」などと妄言を口にする人は日本人を狙った過激派のテロは過去に何度も発生していた経緯を忘れているのでしょう。

 “極左過激派” や “オウム真理教” が日本国内起こした事件は日本人がターゲットにされました。過激派にとって重要なことは対象者が「自分たちの主義・主張を受け入れるか否か」なのです。テロに訴え出るような集団に共感する必要はないと言えるはずです。

 決して共存することができない集団が世の中には存在します。その現実から目を背け、「平和を愛する日本人は世界中の誰とでも仲良くできる」と主張するのは明らかに “お花畑” なのです。

 コーランを厳格に解釈したイスラム教のサラフィストたちとは共存することは不可能であることを覚えておき、自衛策を講じる必要があると言えるのではないでしょうか。