多岐に渡る問題が存在する教育現場に “自由” を与える意味も効果もない

 2020年から順次導入される新しい学習指導要領について、一部のメディアは「現場の自由を確保せよ」と主張しています。

 しかし、現在の教育現場には問題があり、権限を持っている教師にさらなる自由を与えると問題が拡大する現場も存在することを忘れてはなりません。“氷山の一角” というべき事案が明るみに出る結果となりました。

 

 自民党がホームページ(HP)で実施した「学校教育における政治的中立性についての実態調査」について、木原稔・党文部科学部会長は1日、投稿された情報のうち明らかに法令違反と思われるものなど一部を警察当局に提供する考えを示した。いじめや体罰など政治的中立と関係のない通報があったといい、こうした情報も対象という。

 

 現状の学校教育では、教員側に『自由』が与えられています。「それほどの自由はない」と主張する教員もいるでしょうが、“野放し状態” となっており、事実上の自由を手にしているも同然です。

 その実態を調査する目的で、18歳から選挙権を与えられたことを契機に自民党が「学校教育における政治的中立性についての実態調査」を行いました。

 寄せられた投稿には学校教育を管轄する文部科学省ではなく、いじめ・体罰という警察が対応するべき傷害事案が通報されていたとのことです。このような問題から(意図的に)目を逸らし、「現場の自由を確保すべきと主張すること」は本末転倒と言えるでしょう。

 

 自民党がホームページ上で実態調査を呼びかけた際、「密告を奨励するのか」と批判した識者が存在しました。

 密告という手法をあまり歓迎しない人も確かに存在するでしょう。しかし、学校という外部からは閉鎖された環境下で、絶対権力を持つ教員などが明らかに法令に違反している実態を外に知らせるためには密告という手段しか残されていない場合もあるのです。

 「密告を奨励するのか」と批判する識者には「学校内で発生しているいじめ・体罰といった傷害事件に目をつぶり、被害者には泣き寝入りをせよ」と主張しているのかとの問いに意見を表明して欲しいものです。

 

 “治外法権” を認め、外部からの監査を拒むような組織は腐敗し、瓦解することは歴史が証明しています。学びの場である教育現場がそのことを学習していないことは皮肉であるとしか言いようがありません。

 『自由』を要求するのであれば、それに対する『責任』を担うことが絶対条件です。外部に授業内容を始めとなる情報公開を拒み、自分たちが好き勝手することは『自由』として認められないと考えるべきではないでしょうか。