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老人ホームや障害者施設が街中にないのには理由が存在する

 専修大学名誉教授の正村公宏氏が「障害者施設を街中に立てるべき」と主張した記事を朝日新聞が掲載しています。

 家族だけでは介護を支え切れなくなったいるため、社会全体で支えるべきとの主張なのですが、あまり共感を呼ばないでしょう。年金・医療・介護は政府からの予算規模が最も大きい分野であり、これ以上の負担を歓迎する現役世代は少ないと考えられるからです。

 

 「日本では老人ホームや障害者の施設の多くが街はずれの何もない場所に造られている。周囲の人と触れ合うことがないし、家族からも隔離されている」と正村さんは言う。「こうした社会福祉事業のあり方が、障害者や高齢者についての理解を妨げていないか」

 正村さんがその必要性を痛切に感じるのが、ノーマライゼーション。障害者や高齢者ができるだけ街の中で、家族や地域の人と触れ合って暮らす社会だ。スウェーデンなどで取り組みが進んでいるという。

 

 まず、老人ホームや障害者施設の多くが都市部に存在しないのには正当な理由があります。それは都市部で利便性の高いエリアほど土地代が高いからです。

 施設を建設する必要は街中でも、郊外でも同じです。しかし、建設地を確保するための土地代には大きな差が生じます。

 国の予算が中心となる社会福祉事業で「利便性の高い街中に老人ホーム(または、障害者施設)を建設するので、予算が欲しい」と申請した場合、納税者は容認するでしょうか。

 

 「なぜ、わざわざ土地代の高いエリアを選ぶのか」「毎年の固定資産税が高くなることをどう考えているのか」との指摘が出てくることでしょう。

 仮に「社会福祉関連の施設だから、税金は免除の対象とすべき」との反論を考えているのであれば、都市部の街中に老人ホームや障害者施設といった社会福祉施設は建設できません。なぜなら、商業地や学校・住宅地とすれば、所有者から税金が納められるのです。

 土地の価値が高いエリアを有効活用することは経済活動として当然のことです。

 老人ホームや障害者施設を街中に建設して採算が取れるのであれば、民間の社会福祉団体が自前の予算でやるべきです。財政再建が求められている国や地方自治体が便宜を図ることではありません。

 

 障害者や高齢者が家族や地域の人たちと触れ合って暮らすことを求めるなら、自宅で家族たちが世話をし続ければ要望は満たされることになります。

 「社会が劣化しているのではないか」と正村氏は主張していますが、コスト負担を嫌っているだけでしょう。なぜ、介護者が負担しなければならないコストを社会に押し付けようとするのでしょうか。延命のために多額の社会保障が注ぎ込まれている現実があり、その費用はすべて現役世代が負担しているのです。

 資産的に裕福なのは介護される側の高齢者です。そこに年金という形で現役世代からの “仕送り” が存在し、高齢者・障害者のために若者が介護という形で酷使されている現状があります。

 安楽死を認めず、無意味な延命措置が続く現状を放置し続ける限り、全員が不幸になるという最悪のシナリオから逃れることはできないと思われます。