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汚職で失脚した役人を使い、「ゆらぐ文民統制」とズレた政府批判をする朝日新聞

社会

 朝日新聞が元防衛事務次官の肩書きを持つ守屋武昌氏へのインタビュー記事を掲載し、「ゆらぐ文民統制」と政府を批判しています。

 「ゆらぐ文民統制」と銘打たれていますが、実情は朝日新聞の得意技とも言うべき “角度を付けた報道” であり、「広義の文民統制が揺らいでいる」ということが実情です。

 

 国会、内閣に加え、防衛省内(保安庁、防衛庁)でも文民統制をおこなう。制服組による軍事の計画策定と実施について、軍事の『基本』を担当する背広組が、大臣の『指示』『承認』に関与する日本独自のチェック体制はそこから生まれたのです

 先述のとおり、防衛庁・自衛隊発足当時の内局は戦争を経験して軍事的な知見がある文官でしたから、自衛官にも説得力をもって対応できた。しかし、時代が進むと、戦争の悲惨さ、軍隊の実態を知らないのに、先輩たちを形だけまねて威張る文官も現れたわけです。

 (中略)

 次第に洋上訓練を苦痛だと忌避するキャリアが現れたり、語学などの研修を重視する時代の流れもあったりして、80年ごろ打ち切られました。90年ごろには当時の海幕長から復活を促す提案をもらいながら、それも内局側が断ってしまった。自衛隊の現場を知ることが文民統制の大前提ですが、文官がその努力を怠った。

 (中略)

 ただ、その後の省内の文民統制の仕組みを変えてしまおうという動きは看過できません。背広組への積年の怨念から国を傾かせかねない行動をしてよいものかと思うのです

 

 『文民統制』ですが、これは軍のトップは民間人(=文民)が就任し、統治するという意味で使われる言葉です。

 日本に当てはめると、自衛隊をコントロールする立場にあるのは内閣総理大臣。民間人(=文民)の安倍晋三首相がその地位にある訳で、文民統制の仕組みは揺らいでいません

 では、なぜ朝日新聞は「ゆらぐ文民統制」という記事を書いたのか。それは日本の自衛隊独自の仕組みがあるからです。

 

 記事にあるように、自衛隊は『制服組』と『背広組』に分類されます。『制服組』とは災害救助などを行う自衛官、『背広組』はいわゆるキャリア官僚や防衛省の事務局員という文官のイメージで問題ありません。

 そして、自衛隊内では『背広組』が『制服組』を統治する “文官統制” が根付いていたのです。

 ところが、守屋氏自身が記事で回顧しているように、勘違いをした文官が多数出現することで風向きが変わります。現場を理解せず、研修を苦痛だからという理由で拒絶するケースが目に余るようになったのです。

 「過去の敗戦の反省を踏まえるという意味でも『背広組』が『制服組』の暴走を監視する必要がある」という主張は『背広組』の横柄な振る舞いによって内容の伴わない空論へと成り下がりました。要するに、『背広組』が防衛省内で持っていた “奇妙な特権” が自らの振る舞いによって剥奪されることとなりました。

 

 『背広組』の立場を決定的に悪くしたのは守屋武昌氏が起こした『山田洋行』との収賄事件でしょう。守屋氏の妻も逮捕され、守屋氏自身は収賄罪と偽証罪で起訴され、実刑判決が下っています。

 事務次官が長年接待を受け、二女のアメリカ留学費用も『山田洋行』が負担していたのです。そのような汚職が起きたのであれば、再発防止策の1つとして組織体系の変更やガバナンスの強化が行われることは当然です。

 また、外部からの目が入りにくい “文官統制” の制度そのものも見直す必要に迫られます。『背広組』が防衛省内で幅を利かせる(権力を保持する)ために維持されてきた “文官統制” は汚職が発覚したことで、時代遅れで意味のない制度と決定づけられたことでしょう。

 

 『制服組』であろうと、『背広組』であろうと、“文民統制” に基づく日本では文民である内閣総理大臣または防衛大臣の指揮・監督下に置かれているのです。

 その制度にまったく変更が加えられていないにもかかわらず、「ゆらぐ文民統制」という記事を書くのはあまりにピントがズレていると言わなければなりません。揺らいでいるのは “文民統制” ではなく、朝日新聞が書く記事の知的水準なのではないでしょうか。