リベラルがネットで99%負けるのはリベラリズムを持ち合わせていないから

 「ネット上の争いでは、リベラルは99%負ける」とハフィントンポストで主張された津田大介氏の意見が失笑を買っています。

 リベラルは多様な言論を認めているため、“言いがかり” を付けてくるネトウヨに勝つことは難しいと主張したいようです。しかし、リベラリズムに忠実であれば、言いがかり程度である相手側の主張が多数派となることは起こらないのではないでしょうか。

 

 津田氏が主張する “リベラル” が矛盾に満ちているのは以下の部分に現れています。

 ネット上の争いになると、リベラルは99%負けるんです。リベラルが「多様であることがいい」「多文化であることがいい」と訴えると、保守派の言っていることも「そういう言論もありだ」と認めなきゃいけないから。

 

 『十人十色』というように価値観や考え方は人それぞれです。しかし、津田氏が主張する “リベラル像” は本来リベラルが持っているはずのリベラリズムとは真逆の存在になっていることが負け続ける理由と言えるでしょう。

  • 特定機密保護法
  • 原子力発電所の運転再開
  • 安保法制
  • 沖縄の在日米軍基地移転問題

 リベラル派は上記のテーマなどに取り組んできましたが、その際にどのような立場だったでしょうか。いずれのテーマについても「反対」の立場を明確にし、賛成や中立といった立場の人々を批判する有様でした。

 

 このような姿勢のどこがリベラルなのでしょう。偏狭な自らの正義感を絶対正義と位置づけ、異なる意見を表明した人たちを “ネトウヨ” などとレッテル貼りに勤しんでいたではありませんか。

 そうした人物が “リベラル” を自称していたのですから、「多様性はどうした?」と馬鹿にされ、「言ってることが違うぞ」と嘲られた挙句、信用を失うことになるのです。

 具体的な議論を避け、「自分たちの意見が正しい」としか主張しないリベラルがマジョリティー(=多数派)になることはないでしょう。なぜなら、どの意見を支持するかは個人の自由であり、意見の押し付けは民主主義で嫌われることだからです。

 

 例えば、原発の運転が停止していることで火力発電の追加燃料費・年間3兆円が必要となっています。これが電気代高騰の原因になっているのですが、「なぜ運転再開を容認する人も負担する必要があるのか」という意見をリベラル派は議論することを避けています。

 リベラリズムを持ち合わせている人なら、そのような姿勢は採らないでしょう。原発の運転停止をそれでも続けるメリット・デメリットを提示し、電力消費者に脱原発をする意義があることを訴えかけると考えられるからです。

 「原発=悪」などという考え方は短絡的なものであり、“リベラル” を名乗る人々が本来は主張するはずのない論理なのです。このように、様々なテーマにおいて自分たちの主義・主張を一方的に押し付けようとしているのですから、議論をした経験を持つ人にあっけなく敗れてしまうのです。

 東京電力のように殴り返してこない相手にはリベラルは負けないでしょう。しかし、電気代を負担している消費者は「電気代が高騰している件をどう考えているのか」と平然と殴り返してきます。

 リベラルは多数派を主張していることが多いのですが、自説に不都合な現実を相手から突きつけられると途端に沈黙するのです。「電気代が高騰しても、脱原発をする理由」で相手を納得させるか、周囲に共感を呼び起こせば良い話なのですが、そうした論理武装をするだけの能力が欠落しているため、一方的にサンドバッグ状態になってしまうのです。

 

 ちなみに、『ネットリベラル』に位置する有力論客がいないという考えは誤りです。その役割は朝日新聞など大手新聞社のウェブサイトが一手に担っているからです。

 リベラルであれ、保守であれ、中道であれ、“第一線にいる専門家” と議論して勝つことは難しいでしょう。ネット上での議論は“第一線にいる専門家” が参戦している場合もあるのです。ちょっと取材した程度で相手との議論に勝てるのはネット普及前の「古き良き時代の思い出」であると自覚すべきです。

 自称・リベラルが自分たちを無謬だと思い込む限り、信用を失い続けることになるでしょう。