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“ポリコレ” の理想と現実って、こんな感じ

 ドナルド・トランプ氏がアメリカ大統領選に勝利したことで、ポリコレという言葉が注目を集めています。

 “政治的な正しさ” という意味合いの言葉なのですが、問題があることも浮き彫りになっています。「ポリコレを掲げている人々の理想」と「周囲が見ている現実」が大きく乖離していることが原因と言えるでしょう。

 

 ポリコレを掲げる人々が感じていることを示せば、以下のものが最も合致しているでしょう。

画像:ベルトを掲げるランディ・オートン

 

 チャンピオンベルトのように “ポリコレ” を掲げると、一般大衆がその姿勢に対して惜しみない喝采を送る。

 自分たちの主張は「政治的に正しい」のだから、民衆は称賛することが当たり前だと考えているのでしょう。しかし、世間から称賛する声はあまりありません。

 なぜなら、現実はポリコレを掲げる人々の理想とは大きくかけ離れてしまっているからです。

 

 「ポリコレの現実」は以下の動画が的確なほどに示していると言えるでしょう。

 “ポリコレ” を自分たちだけが利用できる『公認凶器』として用いて、自らが敵対者と見なした相手に攻撃を加えているのです。

 ところが、今回のアメリカ大統領選では “ポリコレ” を武器にしていた勢力が「トランプ氏当選」という『KOパンチ』を喰らう羽目になり、ポリコレに基づく言葉狩りなどに勤しんでいた界隈が言葉を失う状況に陥ることとなりました。

 

 ポリコレに対する理解が広がらない理由は上記で示したことが大部分を占めているはずです。やっていることがヒール(悪役)レスラーと同じですから、多数派である中立的な立場の人々が抱く印象が悪くなります。

 なぜ、特定の主義・思想を持った界隈だけが『公認凶器』を利用できる上に、違法行為が黙認されるという『反則行為』が許されるのでしょうか。

 その根拠が「自分たちの掲げる考えが政治的に正しいから」というものですから、単なる個人の主観に過ぎないことです。これではカルトの域から抜け出すことは難しく、賛同の意を表明する人は限定的に留まることでしょう。

 

 マイノリティーに対する配慮を声高に訴え、多数派だけに我慢を強いることは反発を招く要因になります。この当たり前すぎることをポリコレ信者は軽視している傾向があります。

 ポリコレを訴え、「差別だ」と叫ぶ人物がしていることは差別主義者と同じだと見透かされていることに気づく必要があると言えるのではないでしょうか。