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「JR新今宮駅突き落とし事件」をなかったことにするほど、“在日” や “知的障害者” への風当たりは強くなるだろう

社会

 大阪のJR新今宮駅で女性が朝鮮籍の男に線路に突き落とされる事件が発生しました。

 逮捕された男は 『在日』、『精神疾患による通院歴』とメディアが報道を自粛する要素を2つも有しており、事件そのものが “なかったこと” ことになるでしょう。

 日頃から「在日同胞の結束」を訴える民団や総連も事件そのものを無視しています。被害者に泣き寝入りを強いる状況にしたままでは、友好関係が構築されることなど「夢のまた夢」であることを自覚する必要があります。

 

 逮捕されたのは、大津市に住む朝鮮籍で無職の中川晃大、本名裴晃大容疑者(28)です。警察によりますと裴容疑者は11日午後5時すぎ大阪・浪速区のJR新今宮駅のホームで電車を待っていた18歳の女子高校生と63歳の女性の体を押しこのうち63歳の女性を線路に転落させたとして殺人未遂の疑いが持たれています。

 

 今回の事件は「罪のない市民が狙われた卑劣な行為」です。どのような理由・背景があろうとも、非のない市民に対する容疑者の行為は断じて容認されず、正当化もされないものであるはずです。

 容疑者の男(朝鮮籍)は精神疾患との診断を受け、通院歴を有していたと産経新聞に報じられています。ただ、薬の服用を止めていたとも報じられており、責任能力などを含めた捜査の展開を待つ必要があるでしょう。

 しかし、メディアが報道を自粛したところで、被害者の傷が癒える訳ではありません

 『在日』や『精神疾患による通院歴』というカテゴリを持つ人にとっては短期的にはメリットを享受できます。ですが、根本的な問題点から目を背け、臭い物に蓋をすることと同じなのですから、類似の犯行による被害はなくならないでしょう。

 

1:民団や総聯に “存在価値” はあるのか

 「友好の架け橋となる」などと日頃は主張する民団や総聯はJR新今宮駅での突き落とし事件に対して、沈黙を保っています。なぜ、お見舞いの声明を発表もせず、見舞金を出す用意があるとも宣言しないのでしょうか

 両国関係に(ある程度の深さの)溝があるのは当たり前です。その溝が深まるような事件が起きた時、即座に埋める用意があることを表明できるかどうかで大きな違いが生まれます。

 「価値観が異なるから難しい」と主張する人もいるでしょう。しかし、民団や総聯は日本に拠点を起き、「友好の架け橋になる」と宣言している組織・団体なのです。「日本に根付いた価値観のことなど知らない」と宣言しようものなら、そもそも友好関係を構築する気はないと宣言しているに等しいことになってしまいます。

 それとも、2013年に大阪市生野区で発生した韓国籍の男による通り魔事件と同じ結末を期待しているのでしょうか。「心神喪失により刑事責任能力は認められない」として不起訴処分となったため、事件そのものが “発生していない” という形にする情報統制が採られています。

 問題を闇に葬り去ろうとする勢力があれば、隠そうとする部分を暴露し続ける勢力が出没するモチベーションになることを忘れてはなりません。

 

2:「知的障害=無罪」の図式による弊害

 精神疾患などで知的障害を患っていれば、刑事責任を問われることはありません。また、故意や過失が認定されなければ、民事上の責任も問われません。(民法713条)

 「監督義務者が責任無能力者によって生じた損害を賠償する責任を負う」(民法714条)とありますが、「両親であっても監督義務者ではない」と判決が存在したり、「最善と尽くしていたため、賠償の義務はない」と被害者が泣き寝入りを強いられる事例があります。

  • 知的障害者による暴行被害 → 民法714条に基づき、加害者の両親に損害賠償請求を行うも敗訴(名古屋地裁岡崎支部)
  • 認知症患者が線路内に立ち入り人身事故 → JR東海が遺族に賠償請求を行うも敗訴

 相模原市で起きた障害者施設襲撃事件を受け、「障害者が社会と触れ合うことができる環境が必要だ」と主張する声が出ていますが、責任無能力者が起こした事件に対する損害賠償スキームは被害者側にとって不利なものです。

 上述の訴訟内容が健常者を相手にしたものだったら、被告側の賠償額をゼロとする判決が下されたでしょうか。おそらく、原告側の勝訴と言える判決になっていたはずです。

 自由を求める権利はありますが、それに相応する責任を担うことは大前提です。責任能力が足りないのであれば、子供のように保護者が責任を担保することが必須でしょう。この部分を後回しにして、“障害者の権利” を要求するのは順序が逆です。

 

3:日本人の容疑者と同じ基準で報道することが問題解決の第一歩となる

 『在日』や『知的障害者』の容疑者に対して、報道を配慮することはダブルスタンダードです。日本人容疑者の場合は facebook の画像をさらし、学校の文集まで公開することと比較すると大きな差があることは否定できません。

 少なくとも、どちらかの基準に統一する必要があるでしょう。メディアによる恣意的な運用は一般社会に不信感を募らせるだけで、関係を悪化させ、溝を深める結果になるからです。

 トップニュースで報じられた事件でも、日本人が犯人なら続報が連日取り上げられます。しかし、自粛対象のカテゴリを持つ人物が犯人なら、途端に取り上げられなくなるのです。

 この状況は「自粛対象のカテゴリを持つ人物が犯人と事前に目星が付いている事件はそもそも報じられないのではないか」という疑いを引き起こすことに十分すぎると言えるでしょう。友好関係が大事とどれだけ主張しても、それが口先だけであると決めつけられ、両者の溝が埋まることはないのです。

 

 NHK『ニュースウォッチ9』のように、突き落とされた事件を “ホーム転落事故” と意図的に矮小化するメディアがある限り、火に油を注ぎ続けることになるでしょう。

画像:不幸なホーム転落事故として事件を扱うNHKの姿勢

 このスタンスが容認されるなら、真逆の主張も認められることを意味します。「駅のホームが怖くて電車に乗れなくなった、在日死ね!!!」という文面で始まり、流行語大賞ノミネート作になった文章のロジックを転用した主張が堂々と掲げられることにもなりかねません。

 同じ基準で報じられないことは報道機関として致命的です。また、メディアの寄り添う姿勢に甘えている民団や総聯も致命的な対処ミスをしていることを自覚し、態度を改める必要があります。

 まっとうな批判に対し、「ヘイトスピーチだ」などと主張し、言論弾圧の形で圧力をかけることは友好関係を構築することに決して貢献しないことを学ぶべきでしょう。

 

 ネット時代では昔ながらの暴力を背景にした脅しは逆効果となり、自らの首を絞める結果になることを知っておいて損はありません。“負のイメージ” は誤解であるとの払拭に尽力しない政治団体の主張など聞く耳を持たない人が多くて当然なのです。

 ヘイトスピーチを問題視する暇があるなら、在日同胞が起こしたヘイトクライムに対する責任を取るべきです。取れない、もしくは取る気がないなら、「エセ人権団体」との非難を甘んじて受け入れるべきなのではないでしょうか。