「ハラスメントの加害者であるLBGTへの批判は当然」とならない限り、LBGTの権利が根付くことはない
週刊誌『フライデー』にコカイン吸引疑惑を報じられた成宮寛貴氏が芸能界を引退しました。
本人が発表した引退理由は「人には絶対に知られたくないセクシャリティーな部分にスポットが当てられたため」という薬物疑惑とは別の理由です。このような状況で、「成宮氏に息子を襲われた」とグレート・サスケ氏が独占告白したと『週刊文春』が報じています。
個人がどのような性的指向を持っていようが、法律に触れない限り、自由は認められるべきです。しかし、“ハラスメントの当事者” と名指しされたのであれば、これは別問題として対処されるべきでしょう。
“セクハラ” という言葉からイメージされる構図は「加害者:男性、被害者:女性」というものでしょう。ニュースで報じられる多くの事例がこの構図になっているからです。
しかし、実際には「加害者:男性 or 女性、被害者:男性 or 女性」と組み合わせですので、男性が被害者となるケースもあることなのです。例えば、お局社員が若手男性社員に密接したことを男性社員が「嫌だな」と感じれば、“セクハラ” の要件は満たします。
つまり、女性だけがセクハラの被害者ではありません。また、セクハラの加害者が「女性に性的な嫌がらせをする男性」だけに限定されることではないのです。
- セクハラの加害者:他人に性的な嫌がらせをする人物
- セクハラの被害者:他人から性的な嫌がらせを受けた(と感じた)人物
上記の定義が “セクハラ” に対する本来の認識と言うべきでしょう。
成宮寛貴氏のケースですが、「(男性の)成宮氏に息子を襲われた」という告白が『週刊文春』に掲載されました。
告白された内容に対し、成宮氏は沈黙を保っており、真偽は定かではありません。仮に、告白内容が事実であれば、“セクハラ” どころか、性的暴行に該当する事案ですから、厳しい批判が寄せられることは当然です。
「被害があった時点で告発すべき」という意見を持った人もいるでしょうが、LBGTを取り巻く環境が阻害しているという現実があることを知っておく必要があります。
なぜなら、アウティングを理由にLBGTを擁護する人物や界隈が出てくるからです。
実際に起こりそうな事例で考えてみましょう。例えば、「男性である私は同性であるX氏からセクハラ(もしくは性的暴行)を受けた」と告発する人物が現れた場合、どう対処するのでしょうか。
間違いなく、「告発者である男性の行為はX氏に対するアウティングだ」という主張により、告発した男性が非難されることになるでしょう。
アウティングとは「LBGTに対し、本人の了承を得ずに公にしていない性的指向などの秘密を暴露すること」を意味します。つまり、X氏にかけられたセクハラ加害者である疑惑を、性的マイノリティであること暴露された被害者としてかき消そうとする動きが起きることが十分に想定されるのです。
- セクハラの被害者である人物
- 性的指向を暴露された人物(X氏)
AとBが個別に起きたケースであれば、被害者はどちらも救済されるべきでしょう。しかし、“Aのケースの加害者” が “Bのケースの被害者” であるなら、X氏はAのケースにおける加害責任を負わなければなりません。
その際、“Bのケースの被害者” であることが “Aのケース” における加害責任の免罪符になるようなことはあってはならないことなのです。
ストレートであれ、LBGTであれ、セクハラの加害者となるような人物はごくわずかでしょう。LBGTがストレートと同じ権利を求めるのであれば、罪に対する罰則についても同じ内容のものが科されることを要求しなければなりません。
“アウティングの被害者” であることを理由に情状酌量を求めることは嫌悪感を抱かせ、逆効果を招くリスクが大きいと考える必要があります。
好き・嫌いの価値観は人それぞれです。相手に “一方的な好意” を表明することはセクハラと紙一重であり、セクハラの加害者として訴えられるリスクはストレート、LBGTを問わず誰にでも存在することが実状です。
誤解を招かない行為・行動を徹底できるのかが鍵であることは明らかなのですが、LBGTの場合は “アウティング” のカードを振り回すことで『被害者ポジション』を手に入れることができる状況です。
LBGTの権利拡大を求める団体が率先してそのような逃げ道を塞ぐ活動を継続し続けない限り、LBGTが受け入れられる土壌は構成されにくいと言えるのではないでしょうか。