大学全入時代に給付型奨学金を拡充すれば、高等教育の価値を落とすことになるだろう

 「奨学金によって追い詰められる若者がいるのだから、給付型奨学金を拡充して救済すべき」との主張が勢いづいています。

 ただ、大学を取り巻く環境を見なければ、問題の根本的な解決にはならないでしょう。なぜなら、20年前とは環境そのものが大きく変化しているからです。

 

1:大学全入時代を迎えた

 1990年代に大学の規制緩和が行われたことで、大学の数は増加し、それに比例する形で学生数も増加しました。学校基本調査で示された大学数と生徒数の推移をグラフ化すると下図のようになります。

 

画像:大学数と生徒数の推移

 平成2年(1990年)に200万人強だった生徒が、平成28年(2016年)には300万人弱と大幅に増加しています。しかし、日本は少子化が深刻化している社会であり、2010年の時点では “大学全入時代” となっているのです。

 「誰でも大学に入ることが可能」にしてしまうと、義務教育と変わりません。そもそも大学は “高等教育” を行う場所であったから、多額の資金を投入する理由になっていたのです。“高等教育” が行われていない学部に多額の予算を付ける必要性はなくなりつつあると言えるでしょう。

 

2:「年功序列」と「施設・設備への投資」が学費高騰を招く

 過去と比較して学費が高騰していることを問題視する人も多くいるでしょう。しかし、それは大学そのものを取り巻く環境が大きく変化していることが理由です。

 1つは教員の賃金体系が年功序列の影響を強く受けていることです。学術的な業績を残し、大学で学ぶことによる付加価値を与えている教員が得ている給与は低すぎると評価される人もいるでしょう。

 しかし、学術的な業績が皆無に近く、政治活動に勤しむ大学教員の存在がネットによって可視化されています。支出で最も大きい人件費の内容を見直すことは必須となるはずです。

 

 また、インターネットの発達は学費高騰を招いた一因と言えるでしょう。パソコンを使うことが当たり前となったことで、大学はネットワークを整備し、授業で使うパソコンを用意することが必須となりました。

 Windows や office、CAD ソフトなど授業で使うソフトに対するライセンス料を支払う必要も生じています。「昔は大学の学費ぐらい自分で稼いだものだ」と豪語する人が大学生だった頃とは学校側が設備投資に費やしていた金額が大きく異なっていることを見落としてはなりません。

 1995年の阪神大震災以後は建築基準法が改正されたことも、校舎建設への支出額が増える要因にもなっているはずですから、大学側が費やさなければならないコストの絶対額が増えていると言えるでしょう。

 

3:大学へは年間1兆5000億円の資金が投入されている

 国立大学への運営交付金(PDF)として年間1兆円超が支払われ、私学には年間3000億円超が補助金という形で支払われています。

 例えば、憲法89条を根拠に私学助成金を廃止することは可能でしょう。「公の支配に属しない」と日頃から主張する学者が多数いますので、それを逆手に取ることで年間3000億円が浮くことになります。

 これを国立大学に通う日本人学生を対象に『給付金型奨学金』という形で授業料を国が支払えば、能力のある若者に “高等教育” を受ける機会を保障したことになるでしょう。

 予算に限りがあるのですから、受験機会を希望者全員に与えた上で結果を出した優秀な学生には “結果平等” の考えに基づき、最高の学術教育を授けるべきなのではないでしょうか。

 

4:外国人にだけ事実上の給付金型奨学金が存在するのは矛盾している

 日本人に対する給付金型奨学金は存在しないにもかかわらず、外国人には年間300億円規模で存在することは明らかに矛盾することでしょう。

 『国費外国人留学生制度』として知られ、「中国人が大半を占め、反日学生を生み出す温床となっている」と槍玉にあげられた制度です。

 確かに、反日思想が強く示している外国人が “国費留学生” として日本の税金で自らの学歴に箔をつけているケースも存在する訳ですから、運用方法を見直す必要があるでしょう。

 平成24年(2012年)5月現在で8500人の国費留学生がいるのであれば、それ以上の日本人学生が給付金型奨学金による恩恵を受けている必要があるでしょう。

 

 要するに、限られた予算をどのように使うのかを決める必要があります。少なくとも、『国費外国人留学生制度』は存在するが、日本人への給付金型奨学金は存在ないという現状を放置することはできません。

 この格差を是正することは優先しなければなりませんが、“ぶら下がり教員” を切ることも求められることになるでしょう。大学全入時代の中で、学費を無料化することは “ぶら下がり教員” に安住の場を与えることになり、学生のためにはなりません。

 大学で何を専門的に学び、卒業後はどういった仕事に就く考えを持っているのかを早い段階から考えた上、プランBを用意しておくことが学生には求められていると言えるでしょう。

 単に大学を出ただけでは目的を持った学生に太刀打ちすることは難しくなります。また、“ぶら下がり教員” に指導を受けることもマイナスに作用する学生がほとんどでしょう。このような現実を直視する必要があるのではないでしょうか。