社会学者は “裕福なリベラルの代弁者” に過ぎないバカで役立たずだ

 2016年はポピュリズムという言葉がクローズアップされたこともあり、歴史社会学者の小熊英二氏が “脱ポピュリズム” を訴える様子を朝日新聞が報じています。

 しかし、小熊氏の主張は社会学者が本来向き合わなければならない課題から目を背けています。“裕福なリベラルの代弁者” に過ぎない社会学者の育成を多額の資金をつぎ込み、大学で行う必要性はないと言えるでしょう。

 

 都市部で子供2人を大学に行かせれば、年収600万円でも、教育費を除いた収入は生活保護基準を下回ってしまう。

 さらに住宅を買い、多少の余裕を持つには年収800万でもぎりぎりだろう。統計上は「中の上」の収入でも、「昭和の生活」を維持するのは苦しいのだ。

 (中略)

 「昭和の生活」をめざすことが無理なのだ。男性が年収800万を長時間労働で稼ごうとするよりも、男女が適正な労働時間で400万ずつ稼ぐ方が、現代の経済状況に適合している。

 

 

 小熊氏のように『慶應義塾大学』のブランド力にすがる立場にいる人は共感するかもしれません。しかし、“昭和の生活” が難しいことの根拠も示さず、「生活水準を下げよう」と要求してくる主張に賛同する人は少数派でしょう。

 世帯年収600万円を稼ぐ男性が長時間残業をして、年収800万円を手にするよりは夫婦共働きで400万円ずつ稼ぐ方が望ましい形です。

 しかし、そのような理想モデルはごくごく一部の例外的ケースです。社会学者であるなら、このような “裕福なケース” を取り上げることはサンプルを間違っています。

 

平均年収400万円は全員が400万円を稼いでいる訳ではない

 国税庁が発表した平成27年の平均給与は420万円です。しかし、全員が420万円を得ている訳ではありません。これはプロ野球選手など億単位の年俸を得ているアスリートが存在していることからも明らかです。

 例えば、5人の平均年収が400万円であっても、次のようなパターンが生じていることが実状です。

  • 年収400万人が5人
  • 年収1000万人が1人、年収250万人が4人

 現実では、平均年収を超える稼ぎを得ている人の方が少数派になっているでしょう。つまり、社会学者が取り組まなければならないのは『年収600万円を稼ぐ力がある人』ではなく、『年収200万円前後の人々』なのです。

 しかし、高額な授業料を支払うことができる学生たちの前で教鞭をとる小熊氏には『年収200万円前後の人々』の生活は目に入らないのでしょう。これは学者として致命的なことです。

 

アッパーミドルの代弁者にサラリーマンは共感しない

 小熊氏は欧米で生じている右派の台頭に否定的です。しかし、右派を勢いづかせたのは小熊氏のようなリベラルの責任なのです。なぜ、自国民の生活を切り下げることを強要するのでしょうか。

 「他人の人権を尊重し、変化を受け入れよ」とキレイゴトを述べ、移民を招き、賃金水準や雇用の悪化を招く政策の導入を迫るのです。

 自らの生活が苦しくなることに対し、選挙でNOを突き付けることは当たり前のことです。これがイギリスやアメリカで起きたことであり、正真正銘の “民主主義” と言えるでしょう。

 年収800万円を稼げる人に向けたロジックは貯金も満足にできない人には響きません。“知的な社会学者” であるなら、そのことを理解できているはずです。残念ながら、小熊氏が理解するには難しいことだったようです。

 

大衆に支持されたら、ポピュリストなのか?

 有権者から支持されない政権が維持することはないでしょう。選挙で政権を獲得した政党や国家元首は多数派からの支持を獲得しているはずです。

 では、政権与党や大統領は “ポピュリスト” なのでしょうか。

 この問いについては、誰もが「違う」と答えるはずです。“ポピュリスト” と名指しするには「政策を実行するために必要な予算や具体的なプランを持たない政治家や政党」が適切と言えるでしょう。

 日本では民主党政権が該当しますし、上限なしで難民受け入れを示したドイツ・メルケル政権も “ポピュリズム” に基づく政策に手を染め、大きなマイナスを引き起こしています。

 むしろ、移民・難民の受け入れを声高に叫ぶリベラル派の方が明らかな “ポピュリスト” と言えるでしょう。『先進国の中間層での生活水準』と『途上国での一般的な生活水準』を交換することによって生じる “変化” を受け入れ、自分の人権など二の次にせよと要求しているからです。

 

選挙で多数派の支持が得られない時点で致命的だと気づくべき

 傍若無人な要求をするリベラルや社会学者の主張が多数派になることはないでしょう。ですから、多数派を得た政治勢力に対して、「ポピュリズムが蔓延している」と負け惜しみを叫んでいるに過ぎないのです。

 「高学歴で知的な自分たちの主張が浸透しないのは有権者がバカだから」という主張ほど情けないものはありません。

 もし、リベラルが知的であるなら、誰でも簡単に理解できる説明内容で自分たちの主張を有権者に浸透させていたことでしょう。それができていなかっただけのです。

 リベラルが訴えたロジックに穴があったり、政策そのものが共感を呼ばない内容であれば、そもそも支持されることはありません。自分たちを無謬だと信じ、上から目線で価値観を押し付けている現状では反発を招き、主張内容も徹底的に叩かれ、権威を失う結果になることでしょう。

 裕福なリベラルを代弁する社会学者が求められるシーンは限定的です。高給取りの新聞社やテレビ局が弱者に思いを寄せていることをアピールすることぐらいです。多くの労働者を不幸に導くような “お荷物” を大学で資金をつぎ込み、不幸を再生産するのは止めて欲しいものです。