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編集権を自社に都合良く悪用するメディアの姿勢が「もう一つの事実」を生み出した原因だ

 アメリカのトランプ政権がメディアを露骨に敵視する姿勢を鮮明にしていることに対し、読売新聞は2月1日付の社説で “米政権VS報道 「もう一つの事実」はあり得ぬ” と主張しています。

 この見解は「内輪ウケ」することでしょう。しかし、自分たちの主義・主張を展開するために事実を都合よく編集してきたことで生まれたメディアへの不信感は拭い去れないことをマスコミは自覚しなければなりません。

 

 バノン大統領上級顧問兼首席戦略官のメディア攻撃も過激だ。トランプ氏当選を予測できなかった米主要紙を「対抗勢力」と断じ、「屈辱を味わい、しばらく黙って聞いていろ」と言い放った。あからさまな言論統制である。

 政権を批判するメディアを貶おとしめて黙殺し、支持層に直接、メッセージを伝えるのが、トランプ氏やバノン氏の戦術だろう。自らの正当性を都合良く発信できるツイッターの偏重が典型だ。

 報道機関は専門家の意見も聞きながら、個々の施策を吟味し、論評する。世論も幅広く吸い上げている。自由主義社会では、メディアとの健全な関係の構築が政策推進に欠かせないことを、トランプ政権も認識せねばなるまい。

 

 注目すべきは「専門家の意見を聞き、吟味し、論評した」上で発信されていると主張している結びの1節です。

 読売新聞の社説で主張された内容ですが、リベラルを自称する朝日新聞も同じ認識を持っていることでしょう。しかし、専門家に意見を仰ぎ、内容を吟味した上で論評されているはずの記事がネット上で歪曲・捏造が指摘され、謝罪や撤回に追い込まれてばかりでは記事への信頼性が失われて当然です。

 報道の使命があるなら、内容に責任を持つことは当たり前のことです。また、ネット上で指摘された程度で記事そのものが謝罪や撤回に追い込まれる頻度が増えるにつれ、「マスコミが報じていない本当の真実」が存在することをメディア自身が証明してしまっているのです。

 

 例えば、専門家の意見を仰ぎ、個々の政策を吟味していれば、「福島が住めない土地」というような記事が世に出回ることはありません。

 しかし、実際には「福島は放射能で汚染された住めない土地」という結論がマスコミには先にあり、結論を補強する論理を提供する専門家の意見も聞きながら、吟味・論評しているに過ぎないのです。

 当然、「福島に住むことは他の46都道府県に住むことと何ら変わりない」という『事実』があります。この『事実』は多数派の日本人が支持しているものですが、一部のマスコミ側から見ると、決して容認できない『もう一つの事実』となる訳です。

 “福島ヘイト” を平然と行ってきたマスコミが「『もう一つの真実』が存在することなどありえない」と主張したところで、その発言に信憑性はあると言えるでしょうか。

 

 トランプ政権に対する批判についても同じです。発表する政策すべてにメディアは反対を表明していますが、専門家の意見を確認した上で吟味・論評していないことはネット上で指摘されています。

 トランプ大統領が下した難民受け入れ停止で涙を見せて反対したシューマー議員ですが、2015年にフランス・パリで発生したテロ事件を受け、ポール・ライアン下院議長(共和党)が「シリア難民の受け入れ停止」を要求した際に次のように意見を述べたとワシントンポストが伝えているのです。

 But another Democratic leader, Sen. Charles E. Schumer (N.Y.), said "a pause may be necessary."

 "We have to see how good the process is," he said. "And if it has holes in it, and it doesn't work, we will tighten it up."

 「中止する必要があるだろう。どういったプロセスが良いのかを見なければならない。また、もし抜け穴が存在したり、上手く作用していないなら、手を打たなければならない」と述べているのです。

 この『事実』をマスコミは報じたのでしょうか。涙を流しながら、情に訴えることは報道機関としての役割を放棄したと言われることになるでしょう。

 

 トランプ政権を批判したい目的で、『事実』の一部分だけを切り取る報道機関に「もう一つの真実というものは存在しない」という主張を展開する資格はありません。

 マスコミが伝える報道が唯一無二の『事実』ではないのです。メディアが編集権を独占していた時代は終わり、マスコミにとって都合の良い内容だけを『事実』として扱うことはできなくなったのです。

 その現実を受け入れられないマスコミほど、『もう一つの事実』というレッテル貼りを行い、自分たちの伝えた内容だけが『真実』だと主張しているに過ぎません。

 そもそも、マスコミが『事実』を中立な立場から正確に報じていれば、出所不明な情報が “真実” のように伝えられることはないと言えるでしょう。

 

 要するに、メディアにとって都合の良い世論を作り出し、「世間一般の代弁者」を勝手に名乗ることで好き勝手な行いをしてきたマスコミがネット社会の普及によって梯子が外されたに過ぎないのです。

 「機関紙」として、一部の界隈の “御用メディア・機関紙” として生き残りを図るか、正確な報道を最優先し、ダウンサイジングをするのかは各報道機関によって判断が分かれることでしょう。いずれにせよ、自分たちの振る舞いを反省し、改善しなければ失った信頼は取り戻すことは不可能だと言えるはずです。