読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自称リベラルが求めるのは “意見に賛同する仲間” ではなく、“鉄砲玉” と “身代わり” だ

 朝日新聞テヘラン支局長を務める神田大介氏が問題あるツイートを行ったことで炎上し、本人が当該ツイートを削除した上で釈明を行ったのですが、その行為を批判するリベラルが存在します。

画像:神田大介氏のツイート

 ツイートした本人が「病気を揶揄する意図はなかった」と弁明している状況で、「最高権力者をおちょくることに遠慮はいらない」とツイートをするリベラル派が存在しているのです。

 要するに、彼らは自分の代わりに行動を起こす “鉄砲玉” が欲しいのでしょう。なぜなら、相手をおちょくる行為をすると、批判の矛先が自分に向くことになるからです。

 

「自分で “おちょくる” のはヤバい」と学習した山口二郎氏

 「病気を揶揄する意図はなかった」と弁明した人物に対し、法政大学教授の山口二郎氏は次のようにツイートしています。

画像:「撤回する必要はない」と煽る山口二郎氏のツイート

 山口二郎氏は「最高権力者をおちょくることに遠慮はいらない」と勇ましい発言を行っていますが、わずか1ヶ月前の行為は記憶から抹消されているのでしょう。

 なぜなら、神田大介氏と同様のツイートを行い、「揶揄・侮辱する意図はなかった」と弁明しているからです。

画像:山口氏による問題発言を弁明するツイート

 おちょくろうとして痛い目を見たから、自分の代わりに安倍首相をおちょくってくれる人物を求めているに過ぎないことです。相手をおちょくりたいなら、“言論の自由” は認められているのですから、自己責任でおちょくれば良いのです。

 反撃を受けたくないという理由で、「鉄砲玉」や「身代わり」を求める “腰抜け” が見透かされるようでは『戦う政治学者』というプロフィールでは世間から失笑を買うことになるでしょう。

 

“おちょくり” と本人は思っていても、実際はヘイトスピーチというパターン

 また、「ヘイトスピーチに反対する」と表明し、活動を行っている弁護士がヘイトスピーチを行っているという点も見逃すことはできません。

画像:神原氏によるツイート

 “反ヘイト” を掲げる人々の基準では、この程度は問題ないとのことです。神原氏は自由法曹団の幹部弁護士という立場にあるようですが、これは明らかなヘイトスピーチと言えるでしょう。

 神原氏のロジックが容認できるなら、「リベラルは右目を失明している。見えているのは左目だけで、それも視野が極端に狭まっている上に焦点すら定まっていない」と揶揄することに “お墨付き” が与えられることになります。

 

 また、「生理によって毎月情緒不安定になる女に権限を与えることなど危険すぎる。首相など以ての外だ」との暴論も許容されることになるのです。

 自分たちが掲げる政治的主義・主張と反する意見を持つ人物に対してはどのような揶揄や誹謗・中傷でも問題ないというスタンスを支持する人はごく一部です。野党がそのような “絶対正義” を押し付けていることが見えているから党勢が回復する兆しが現れないのです。

 

「政権を強く批判せよ」と叫ぶ者ほど、実は他人の口を借りている

 「政権に厳しい声をあげるべきだ」などと主張する人を確認するほど興味深いことがあると言えるでしょう。そうした声の大きい人ほど批判の中身は薄っぺらいのです。

 スローガン的な主張は大きい声で訴えるものの、「現実的な対案は?」と問われると急にトーンダウンします。また、“政権批判を行ってくれる代弁者” に肝心の批判する内容を丸投げするというケースもあります。

 他人に代弁してもらわないと政権批判もできないのであれば、政治活動から一線を画し、投票によって意思表示をすれば十分でしょう。個人として限界があると感じるなら、“政策研究所” のような形で組織を作り、その上で政治的な主張を発表すれば良いことです。

 「訴えたい主義・主張」はあるが、それを発表することによる責任は負いたくないというのはワガママに過ぎません。発表するだけであれば、ネット上で匿名という形でできる訳です。

 実名や組織名を出すことで世間に広く訴えたいのであれば、大きな責任を負わなければなりません。自分にだけリスクがない状態でオイシイところ取りを目論む “エセ・リベラル” の主張は反感を招く要因が多分にあることを自覚する必要があるのではないでしょうか。