痴漢被害を訴えた側はゼロリスク、嫌疑をかけられた側はその時点で人生が詰むのだから逃げるのは合理的だ

 痴漢の疑いをかけられた男性が線路内に侵入して逃走を図ったことで首都圏の鉄道網が度々ストップする事態が起きています。

 弁護士などが法的観点からのアドバイスをしていますが、効果はほとんど見込めないと言えるでしょう。なぜなら、痴漢の嫌疑をかけられた男性は冤罪であっても社会的に抹殺される可能性が極めて高いからです。

 

1:やった・やってないに関係なく、疑われた時点で人生が詰む

 痴漢をした人物に同情の余地はないでしょう。しかし、冤罪を疑われた男性が被る不利益があまりに大きすぎることが問題です。

 誤解が解ければ良いのですが、被害者側が自らの間違いを認める可能性は極めて低く、逮捕されるリスクが現実に存在するのです。

 

 また、逮捕されなくても、一定期間の勾留は現実的に起こり得ることです。その場合、「痴漢容疑」を理由に会社から解雇される危険性は格段に高まると言えるでしょう。同僚から “白い目” で見られる原因にもなり、会社に居づらくなるのです。

 疑いを晴らすには時間と労力に加え、勤務する会社側からの理解が不可欠です。それに加え、弁護士を雇うための資金も必要になります。

 社会的資本を十分に持ち合わせていない状況で痴漢の嫌疑をかけられた男性が保身に走ることは当然の結果なのです。

 

2:「これまで通りの社会人生活を送ること」に賭けますか?それとも、諦めますか?

 「痴漢の嫌疑をかけられた男性がなぜ逃げるのか」と言えば、ほぼ 100% の確率で人生が詰むからです。

  1. その場に留まった場合
    • 痴漢行為を認める
      → 社会的生命が絶たれる
    • 裁判で無罪を主張する
      → 勝訴するのは困難を極め、世間からの風当たりは強い
  2. 逃走した場合
    • 後日逮捕
      → 社会的生命が絶たれる
    • 逃げ切ることに成功
      → これまで日常生活が続く

 やってもいない痴漢行為で和解するという選択肢はまず存在しないでしょう。一部の弁護士がアドバイスする「その場に留まり、疑いを払拭する」という方法は、正義感の強い周囲の人々によってマイナスに作用する場合がほとんどで疑いをかけられた側のメリットは皆無に近い状況です。

 「駅のホームから頑として動かず、弁護士を呼ぶこと」が最も有効な方法なのですが、「駅員室で話しましょう」との提案を拒否し続けて弁護士と合流できなければ、打つ手がなくなってしまうのです。朝のラッシュ時に捕まえられる弁護士がどれほどいるかも問題です。

 裁判で無罪を主張するにしても、長期に渡り、その間の収入は実質的にゼロになると考えられます。それらのリスクを考慮すると、多額の損害賠償金を科されるリスクを背負うことになったとしても、線路内に侵入して逃走した方が合理的なのです。

 称賛すべき行為でないことは確かですが、「疑わしきは罰せず」という被告人の利益となるはずの司法が「疑わしきは “被害者の思い” を鵜呑みにする」という判決を連発したのです。司法が原理・原則を歪めた以上、被告とされた人物が自己保身に走ることを批判することは論外と言えるでしょう。

 

3:痴漢被害を訴えた側のゼロリスクであることが問題の1つだ

 痴漢問題で揉める原因となるのは被害を訴える側がゼロリスクであることと言えるでしょう。

 嫌疑をかけられた側は一家離散など大きなリスクを背負いますが、被害を訴えた側はそれが冤罪であっても「(冤罪を起こしたことによる)賠償金で人生を棒に振った」というケースは全く耳にしないからです。

 嫌疑不十分であるにもかかわらず、被害者側の一方的な証言だけで有罪判決が下される状況なのです。これでは自称・被害者が出没することは後を絶たないでしょうし、加害者と決めつけられた側が無罪であることを証明するために時間・手間・費用の全額自己負担を強いられている実態は明らかに常軌を逸しています。

 少なくとも、冤罪であった場合は被害を名乗り出た側に懲罰的賠償の支払い義務を負わせるべきです。このような事例がニュースとして、度々報じられるようになれば、線路内に侵入して逃走するという事態は避けられることになるでしょう。

 

4:現状を放置し続ければ、暴力行為かアシッドアタックでの報復が起きるだろう

 痴漢問題は嫌疑をかけられた側が圧倒的に不利な立場もあり、司法も機能していないと見なされれば、個人的に報復を行う人が出てきたとしても不思議ではありません。

 露骨に暴力で報復してきそうな “明らかにヤバい見た目の人” に「この人、痴漢です!」と叫ぶ女性はいないでしょうが、気弱そうな男性であれば(懲罰的賠償などのリスクがない現状では)ゼロリスクで社会的に抹殺できてしまうのです。

 当然、冤罪によって社会的に抹殺されれば、引き金を引いた人物に報復したいと考える人も現れることでしょう。

 その際、海外では知られている “アシッドアタック” が用いられる可能性は大いにあります。「社会的生命を絶たれたのであれば、女性の社会的生命である顔を奪う」という報復行為に出る人物がいたとしても何の驚きではありません。

 

 中学・高校で化学の勉強をサボっていなければ、何を “アシッド” として使うと目的が達成できるかは容易に分かるはずです。そのような悲劇が報じられる前に、その前段階である痴漢冤罪を防ぐ有効な手立てを講じる必要があると言えるでしょう。

 特に、テレビ局は “アシッドアタック” が世間一般に知られる前に対策に乗り出すべきです。なぜなら、それによる損害が最も大きくなるのは芸能人であり、アナウンサーだからです。

 “共謀罪反対” と騒ぐ同じ口で「やましいことがないなら、身の潔白を堂々と証明すべき」というスタンスは明らかに問題です。“共謀罪” 以上に客観的証拠がない状況で疑惑がかけられた人物を社会的に抹殺することに加担しているのですから、報復の対象になっても文句は言えない立場です。

 誰かが不幸の引き金を引く前に、痴漢犯罪の捜査および報道の体制そのものを見直す必要があるのではないでしょうか。