悪質な犯行でも執行猶予を勝ち取れるのだから、精神障害者は「隔離」を前提とすべき

 JR大阪環状線・新今宮駅で女性2人を線路に突き落とした中川晃大こと裴晃大被告に執行猶予付きの有罪判決が下ったと NHK が伝えています。

 しかし、“精神障害” を持っていれば、実刑を免れる現実が明るみに出たことは問題と言えるでしょう。なぜなら、実質的な無罪判決だからです。

 

 大津市に住む無職の中川晃大、本名、裴晃大被告(28)は、去年12月、大阪・浪速区のJR大阪環状線の新今宮駅のホームで、当時63歳の女性と当時18歳の女子高校生を背後から押し、このうち63歳の女性を線路に突き落としたとして暴行の罪に問われました。

 (中略)

 22日の判決で、大阪地方裁判所の飯島健太郎裁判長は「人の命を危険にさらす悪質な犯行だ」と指摘しました。

 一方で、「障害の影響で周囲の人に自分の力を示さなければならないという思いに駆られ、思いとどまることができなかった。周囲の支援計画が作られ、同じ犯行を繰り返すおそれは高くない」として、懲役2年6か月、執行猶予4年を言い渡しました。

 

 

形だけの “支援計画” ではないのか

 裴晃大被告は人の命を危険にさらす悪質な犯行をしましたが、「精神障害の影響」と「周囲の支援計画」により執行猶予となりました。

 ですが、問題がある判決と言えるでしょう。支援計画が想定通りに機能しなければ、人の命を危険にさらす悪質な犯行にブレーキをかけることができないことが明確だからです。

 「裴晃大被告の支援計画」がきちんと機能しているかをどのように確認すれば良いのでしょうか。

 おそらく、支援計画が頓挫したとしても、執行猶予が取り消されることにはならないでしょう。再犯に及ばなければ実質的に無罪を勝ち取ったに等しい判決と言えるはずです。

 

裴晃大被告を隔離しないなら、GPS を付ける義務を負わせるべきだ

 刑事裁判で「精神障害による影響」が認められたのですから、民事でも同様の判決が出ることでしょう。つまり、民事上の賠償責任はないと判断されるはずです。

 人の命を危険にさらす犯行に及んだとしても、刑事・民事の責任を問わない人物が社会にいるのです。

 未成年も近い立場ですが、未成年の場合は「代わりに賠償責任を負う保護者」が存在します。しかし、“精神障害者” の代わりに賠償責任を負う人物はいません。要するに、精神障害者から被害を受けたら、泣き寝入りを強いられるのです。

 「隔離」を拒むなら、支援者たちが「代わりに賠償責任を負うべき」です。それも嫌だと主張するのであれば、裴晃大被告が執行猶予期間中は GPS 装着を義務づけさせ、位置確認をできるにすべきです。

 損害賠償を求めることができない人物からの被害を最小限にするには距離を取るしか術はありません。その自己防衛手段を裁判所は認めるべきなのではないでしょうか。

 

「精神障害者に偏見を持つな」と主張する前に、代わりに賠償責任を負うべきだ

 精神障害者の家族や支援団体は「偏見を持つな」との主張を繰り返しています。また、「施設が都市部ではなく、山間部など不便な場所にある」などの不満がメディアに取り上げられていますが、あまり共感が広がっていないことが実状です。

 その大きな理由は問題を起こした際、賠償責任を負わないことです。

 精神障害者本人はもちろんのこと、保護者である家族も刑事・民事上の賠償責任が免責されるという判例があるからです。これは精神障害を持つ人にとって、強い向かい風となるでしょう。

 精神障害者が問題を起こした場合、本人や家族・支持者は “免罪符” によってマイナス分はゼロです。しかし、誰かがその『責任』を取らなければなりません。

 所属組織に『責任』が降りかかり、被害者は『賠償』を得られず、泣き寝入りを強いられているのです。これでは一般社会から忌み嫌われて当然のことなのです。

 

 「責任を負うから、自由が得られている」ということを見落としているのではないでしょうか。“精神障害者との共存” を訴えるのであれば、本人または保護者・支持者が『責任』と『賠償』を担う仕組みを作ることが優先課題です。

 『責任』や『賠償』を誰も負わない立場の人物を「隔離」することを一切認めず、社会と共存させるべきという主張はあまりに無責任すぎるものです。

 対等な立場を求めるのであれば、義務の点で同じ土俵に立つことが大前提です。義務が明らかに免責されている一方で同じ権利を求める “いいとこ取り” では理解されず、逆に批判を受ける原因になることを理解する必要があるのではないでしょうか。