前川喜平氏が「内部文書の流出元ではない」と答弁できず、騒動は朝日新聞の自作自演という状況に

 加計学園の獣医学部新設についての閉会中審査で前川喜平氏が参考人として招致されたが、与党からの追求を “かわした” と毎日新聞が報じています。

 しかし、これは完全な思い込みです。なぜなら、否定しなければならない質問を否定できず、回答を拒否しているからです。これにより、一連の騒動は朝日新聞による自作自演が非常に強まったと断言できるでしょう。

 

 出会い系バーへの出入りを「女性の貧困の実地調査」と説明したことを丸山穂高衆院議員(日本維新の会)から指摘されると、「言葉遣いは適切でなかったかもしれない」と答えた上で「(官邸の動向と)読売新聞の記事は連動していると主観的に感じ取った」と主張した。文科省の内部文書について「流出元では」と平井卓也衆院議員(自民)からただされると「答えを差し控える」とかわした。

 

 前川氏が致命的なのは自民党・平井衆院議員から「文科省の内部文書を朝日新聞に流出させたのではないか」と問われた際、「答えを差し控える」と答えれなかったことです。

 毎日新聞は「うまくかわした」と前川氏を讃えていますが、これは間違いです。なぜなら、朝日新聞が最初に報じた記事では “文科省関係者” が「この文書は文科省で書かれたもので間違いない」とのお墨付きを与えているからです。

 もし、前川氏が流出元であるなら、朝日新聞と文科省関係者でもある前川氏による自作自演になります。「自作自演ではない」と明言できなかったことは致命的と言えるでしょう。

 

「私は持ち込んでいない」と否定できない=朝日新聞に持ち込んだのは前川氏

 平井議員から「あなた(=前川喜平氏)が朝日新聞文科省の文書を持ち込んだのではないか」と問われた際の場合分けは以下のようになります。

  1. 前川氏が朝日新聞に文書を持ち込んでいた場合
    • 認める → 朝日新聞と前川氏の自作自演
    • 認めない → 朝日新聞が裏切ると前川氏だけが窮地に陥る
    • 答弁拒否 → 朝日新聞と前川氏の両者にメリット
  2. 朝日新聞に持ち込んだのは前川氏ではない場合
    • 「私が持ち込んだ」
      → 虚偽答弁。前川氏の利益となることは皆無
    • 「私は持ち込んでいません」
      → 事実を答弁。誰が持ち込んだかは朝日新聞に証明義務
    • 答弁拒否
      → 自らへの疑惑を残す答弁。前川氏にメリットはない

 朝日新聞に文書を持ち込んだのが前川氏でないなら、平井議員からの追求を明確に否定できるはずです。自作自演疑惑を否定できますし、「誰がネタを持ち込んだのか」を知っているのは前川氏ではなく朝日新聞であることと主張できるからです。

 

 しかし、前川氏は答弁を意図的に避けています。

 これは前川氏自身が「朝日新聞に文書を持ち込んだ(売り込んだ)本人である」と自白したに等しい行為です。イエスかノーで答えると前川氏は窮地に陥ることは確実です。前川氏がノーを答弁した場合に限り、朝日新聞は “裏切り” で助かる可能性はありますが、自作自演だったことまでは否定できません。

 一方で前川氏が答弁を誤魔化してくれば場合は(前川氏と朝日新聞の)双方の利害が一致する訳ですから、「素晴らしい答弁内容だった」との大本営発表を行う十分すぎる動機になるのです。

 

朝日新聞に文書を持ち込んだ人物= “文科省関係者” =前川氏なら、完全なフェイクニュース

 加計学園の問題に火をつけたのは朝日新聞の報道です。ただ、記事の中で「疑惑の文書は文科省が作った」と証言し、内容にお墨付きを与えた “文科省関係者” が急にフェードアウトしたのは奇妙なことです。

 公文書と主張されていましたが、「文面の体裁がめちゃくちゃ」との指摘があると出所不明の色合いが強まり、それと反比例する形で前川氏が登場してきたのです。

 「前川氏が朝日新聞に “内部文書” として持ち込み、自ら “文科省関係者” としてコメントを述べ、朝日新聞のスクープになった」というシナリオは何一つ否定されていません。このシナリオが違うと主張するのであれば、朝日新聞や前川氏がそれを証明すべきでしょう。

 なぜなら、加計学園疑惑で報じてきたスタンスは「疑われた方が潔白であることを証明しなければならない」というものだからです。

 

 “言いがかり” によるフェイクニュースで政権交代となれば、完全に悪しき前例となるでしょう。安倍政権より優れた経済政策がある訳でもなく、無知な大衆を煽って政権を崩壊させたことで割を受けるのは一般社会なのです。

 政局記事しか書けない政治部を持つマスコミにとっては長期政権より短期政権の方がネタができるため、大歓迎すると思われます。しかし、政策が実施されないなどによる弊害は現役世代(特に就職を控えた学生)を直撃することになります。

 「それでも良い」と考える人が多いなら、それが民意です。ただ、ネットが普及した時代であり、どういった立場の人々が不幸へとつながる道を進むことを選択したのかは半永久的に残るということを自覚しておく必要があるのではないでしょうか。[]