ミニマミストの旗頭・稲垣えみ子氏、著書を図書館で借りた人への不満をぶち撒ける

 アフロ記者として一躍有名となった元・朝日新聞の稲垣えみ子氏が『アエラ』で「自著を図書館で借りて読んだ」と報告した読者に不満を訴えています。

 「物を所有しない」、「お金を使わない」という主張を展開しておきながら、自分の書籍がその対象に入ると文句を述べるとは非常に身勝手と言えるでしょう。むしろ、自分の主張に沿って実践している読者を褒め称える度量が稲垣氏には必要と言えるのではないでしょうか。

 

 それが何であれ、仕事には相応の苦労が伴います。そして、それに敬意を表してお金を払ってくれる人がいて初めてその人は仕事を続けることができる。あなたが懸命に作ったものを当然のようにタダで持っていく人がいたらどう思いますか。自分にはそんなにも価値がないのかと傷つきませんか。いや借りたっていいんです。読んでいただいたことに感謝いたします。しかしやはり……。

 

 稲垣えみ子氏の主張で滑稽なのは「電力には敬意を払っていないのに、自分の書籍には敬意を払え」と主張している点です。

 反原発の流れに乗って電力会社を敵と見なし、「他人が電気代を払っている(図書館・公民館・喫茶店などの)場所で涼めば、電気代は大幅に節約できる」と啓蒙しているのです。同じロジックで因果応報になっただけと言えるでしょう。

 

1:なぜ、稲垣えみ子氏は書籍購入を読者に求めるのか

 物を極力持たないシンプルな生活をする人にとって、書籍ほどスペースを消費するものはありません。引越しの際に “かさ張る” のは書籍類と言えるでしょう。

 家電製品は1つで足りる場合がほとんどが、書籍の場合は異なります。電子書籍でもない限り、どんどん増え続ける厄介な存在なのです。

 そのような中で稲垣えみ子氏が自著の購入を求めるのは「著作権収入が得られる」という自らのエゴに基づくものでしょう。

 図書館では予算を投じて書籍を購入していますが、どれだけ貸し出しがあったとしても作者の収入にはなりません。中古で購入した場合も同様です。そうした事情が存在するから、稲垣氏は自著を新書で購入することを求める記事を書いたものと考えられるのです。

 

2:「誰かの “飯の種” を節約している」という認識は必要である

 稲垣氏が持たなければならないのは「節約した対象の誰かの “飯の種” である」という考え方です。これを持っていないなら、自著が節約対象となった現実を目の前に突きつけられた時にショックを受けることになったのです。

 もちろん、人の価値観はそれぞれですが、どの分野にどれだけ配分するかは個人の自由です。

 しかし、すべての分野で節約という名の “タダ乗り” が横行すると経済の落ち込みを呼び込む結果となるでしょう。『過度な節約』はマスコミ自身の首を締める結果になっていることを認識しなければなりません。

 給与面で恵まれていない若い現役世帯は金銭的に余裕がない経済状況に立たされているため、取捨選択がシビアとなり、その結果としてミニマミストのように見えているだけなのです。高給取りのマスコミ関係者が趣味で行う “清貧” とは事情が全く異なっているのです。

 

 フリーライダーの先駆者として稲垣えみ子氏が推奨した方法を読者が参考にし、実践したことによる影響が「著作権収入の減少」という形で稲垣氏に出ただけに過ぎません。

 自分の考えが世間に広まったことを素直に喜ぶべきと言えるでしょう。もし、自らの考えに基づく行動が世間で採用されたことに対する不満があるなら、それは考え方自体に問題があるということです。

 ご都合主義は通用しないことを学習すべきと言えるのではないでしょうか。