ギリシャにたどり着いた(自称・)難民、ギリシャ語を学ぶことは嫌だとゴネ始める

 難民のエゴがむき出しとなる事案が発生しています。

 NHK によりますと、ギリシャで足止めを受けている難民が「自分たちの子供にギリシャ語を学ばせたくない」との理由で教育を受けさせていない状況が発生しているとのことです。難民支援がバカらしくなる事案が起きていると言えるでしょう。

 

 ギリシャ政府は去年10月、EU=ヨーロッパ連合からの資金援助を受けて、公立の小中学校で難民の子どもにギリシャ語などを教える特別クラスを設置しました。

 しかし、ユニセフ=国連児童基金によりますと、6歳から17歳までの子ども1万2000人のうち、ことし6月時点で学校に通っていない子どもはおよそ8500人と全体の7割以上に上るということです。

 ユニセフは、難民の多くがギリシャ以外のヨーロッパの国への移動を望むなか、子どもがギリシャ語を学ぶことに親が抵抗感があることなどが理由にあげられるとしています。

 

 メディアは “難民” と称していますが、実態は “経済移民” です。「自分たちは難民であり、希望する国での生活を保証しろ。ギリシャは希望する国ではない」と要求しているだけなのです。

 もちろん、(自称を含め)難民には受け入れ国を希望する自由はあります。しかし、受け入れ国側にも「希望者を受け入れるか」を決定する権限があるのです。それを無視するようでは難民支援への理解は広がらないでしょう。

 

1:「子供の教育機会」を奪っているのは “実の親” であるという現実

 ギリシャでは難民に対する支援は用意されています。特別クラスを公立校に設置するなど、公平な機会は保証されており、十分と言えるでしょう。

 しかし、より豊かな国での生活を希望する難民の親にとって迷惑なことです。

 経済的に苦しいギリシャよりも、ドイツ・フランス・イギリスでの生活を希望するのであれば、ギリシャ語よりドイツ語を学んだ方がリターンが大きくなるからです。

 また、自分たちも「保護者」という形で滞在ビザを合法的に取得できるというオマケも付いてきます。このような “大人の事情” を計算した自称・難民たちの欲望がエゴという形で溢れ出ているのです。

 

2:難民先を希望している時点で、「経済移民」である

 自国で生命が脅かされていることを理由に難民となる人はいるでしょう。ですが、難民として受け入れ先を希望している時点で「難民」とは呼べません。

 なぜなら、その行為は移民希望者のものだからです。

 移民を希望する場合、受け入れ国が求める要件を満たしているかを個別に審査されます。しかし、難民だと強弁すれば、移民希望者に対して行われる要件審査を回避できるのです。

 これはフィルター機能が損なわれる結果となり、その結果として受け入れ国の社会規範に適合しない人物が多数流入することを招くことになります。しかも、難民の不法行為を批判すれば、差別主義者として糾弾されるのです。社会の分断が進み、不穏な空気が流れる結果に直結することが予想されます。

 

3:「外国人難民が求める教育体制を受け入れ国は予算を出して整えろ」という主張

 公立校の門戸が「外国人だから」との理由で閉ざされているのであれば、問題です。これは差別ということで批判されても、止むを得ないでしょう。

 ギリシャで起きていることは全く別の問題です。難民たちが「ギリシャの公立校でギリシャ語を学ぶのは嫌だ」とゴネているからです。

 ユニセフが「難民の子供たちが学校で勉強できないことは問題」と主張したところで、親が拒否感を示しているのです。親たちが要求する教育体制のために、多額の予算をつぎ込む判断は別の意味で問題を起こすことになるでしょう。

 なぜなら、「ギリシャの教育体制はダメ」と主張していることと同じになってしまうからです。ギリシャ政府にとっても、ギリシャに留まりたくない自称・難民は単なるお荷物です。予算が食われる原因になるのですから、さっさと出て行って欲しいというのが本音でしょう。

 

 これは難民の受け入れを要求する人々が自腹で必要となる予算を用意すれば済む問題です。それができないのであれば、必要最小限を上回る行政予算を計上する必要性はないと言えるのではないでしょうか。