大阪の府立高校での黒染め強要問題は “不幸の連鎖” が起きた結果である、的外れな批判では誰も幸せにならない

 大阪の府立高校で生まれつき茶髪の生徒が黒髪を強要され、精神的苦痛を受けたことを理由に損害賠償を請求したと朝日新聞が伝えています。

 “人権” に敏感な左派界隈を中心に学校側の対応を批判していますが、論理が脱線気味になっています。批判をするのではなく、具体的な対策を提示できない時点で誰も幸せにはならないと言えるでしょう。

 

 生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう教諭らから何度も指導され精神的な苦痛を受けたとして、大阪府立高校3年の女子生徒が、府に約220万円の賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。27日に第1回口頭弁論があり、府は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。

 

 大阪・羽曳野市にある懐風館高校で起きたことですが、問題の根幹は “不幸の連鎖” と言えるでしょう。

 外野が批判したところで、根本的な問題解決には結びつきません。当事者が動いてこなかったツケが噴出した問題でもある訳ですから、マスコミの批判はマイナスに作用する可能性が高いのです。

 

不幸1:“荒れる学校” 時代の遺産が残っていた

 1つ目の不幸は『荒れる学校時代の遺産』が残っていたことでしょう。具体的には「髪の染色禁止」というルールです。

 これは不良が髪を茶髪や金髪に染め、リーゼントや剃り込みという髪型を “アイコン” としていたため、それを禁止する規則が多くの学校で導入されました。

 おそらく、「髪色は黒とする。茶髪・金髪などへの染色は認めない」という校則が定められていたのでしょう。学校側が「指導の根拠」としたのは同様の文面が規則にあったからだと推測されます。

 この規則がある学校に “生まれつき茶髪の生徒” が入学したのです。『不幸の連鎖』に関係する要因となって当然と言えるでしょう。

 

不幸2:当該生徒に学力がなかった

 2つ目の不幸は「当該生徒に学力がなかった」ことです。府立高校の規則は五十歩百歩なのですが、今回の場合は異なります。なぜなら、羽曳野市に南接する富田林市に大阪府立富田林高校という “ぶっとんだ学校” が存在するからです。

  • 髪型・髪色:自由、パーマ:可
  • ピアスOK
  • 服装:自由

 問題が起きた懐風館高校とは真逆の校風を持つ公立高校が存在するのです。ここに当該生徒が入学できていれば、今回の問題は起きなかったでしょう。

 ただ、富田林高校は大阪府教育委員会から『エル・ハイスクール』に指名され、平成29年度には『スーパーサイエンスハイスクール(SSH)』に指定されるなど、進学校の1つです。

 そのため、“富田林高校に合格する学力を持ち、かつ、超進学校には行かない” という限られた学力範囲内の生徒しか救済されません。したがって、根本的な問題解決策とは言えないでしょう。

 

不幸3:当該生徒を含め、生徒側から誰も規則改正に向けて動かなかった

 3つ目の不幸は「生徒が(当該生徒を含め)規則改正に動いていなかった」という点でしょう。

 時代遅れになっても、規則は規則です。また、規則を緩和することは一部の生徒が教員からの “えこひいき” を受けているとの疑念が生じる温床となるため、教員側から規則の改正を提案することは非現実的なのです。

 規則を変えたいのであれば、生徒側から変更要望を出さなければなりません。(尾木ママの「北島康介君をリオ五輪に出してあげるべきだった」という発言は論外)

 今回で言えば、「生来の黒髪でない生徒にまで黒髪を強いる規則はおかしい」と生徒会が声をあげ、「地毛であることを証明することを条件に、生来の髪色を認める」と規則が変更されるよう動いているべきだったのです。

 生徒たちが実際に動き、実績を残していれば、大学のAO入試や就職活動時における大きなアピールポイントになったことでしょう。

 3年間という限定期間ですが、生徒からの強い要望で校則を実際に変更する学校も存在する訳ですから、不可能ではないと言えるはずです。

 

 厳しい規則が作られた原因は現在の中高年が高校生時代に荒れていたことです。生徒が問題を起こせば、教員側は “再発防止策” として校則を厳しくし、それが遺産という形で残っていたのでしょう。

 悪法でも法律は法律です。立憲主義を掲げるのであれば、「学校側が規則を守っていたか」を最初に確認しなければなりません。「規則がおかしい」と感じたとしても、当事者である生徒自身が「問題ない」と判断していれば、外野が出る幕はないのです。

 「アホな高校の生徒は黒髪のルールすら守れない」という印象を持たれて損をするのは学生自身です。『不幸の連鎖』を止める仕組みは可能ですが、適切な対応策を講じないと、人権で飯を食う界隈以外は誰も得をしないことを認識する必要があると言えるのではないでしょうか。