『CCTV(中国中央電視台)日本支局』のようなテレビ朝日が「外国資本の放送局設立」に懸念し、愛国者を自称し始める

 安倍政権が進める放送事業改革に対し、テレビ朝日の早河洋会長が定例会見で懸念を表明しています。

 放送法4条が撤廃されることは既存テレビ局にとって都合の悪いことなのでしょう。なぜなら、『CCTV(中国中央電視台)日本支局』のような編集・放送体制を民放各局が競い合ってきた経緯があるからです。

 「公平・中立」の建前が消滅する訳ですから、“オイシイ思い” をしてきた民放が反発するのは想定の範囲内と言えるでしょう。

 

 報道機関としても取材制作体制を整備し、大きな設備投資も行って、各系列間で切磋琢磨してきた。特に災害報道、地震や台風、最近では噴火、豪雪など、ライフラインとして公共的な役割を担ってきたという自負もある。

 (中略)

 規制を撤廃するという話があるが、目を背けたくなる過激な暴力や性表現が青少年や子供に直接降りかかってしまう。それから外資規制がなくなれば、外国の資本が放送局を設立して、その国の情報戦略を展開することになると社会不安にもなるし、安全保障の問題も発生する。こうしたことに、いずれも視聴者から強い拒否反応を招くのではないかと思う。

 テレビ朝日の早河会長は3月27日に行われた定例会見で上記のようにコメントしています。

 「まともな意見」のようですが、これほど信用のない意見はありません。なぜなら、意見の内容が突如として真逆に変換しているからです。

 

ネットの集合知で “デマ” が暴かれる報道機関

 テレビ朝日の早河会長が言うには「取材・制作体制を整備し、大きな設備投資を行い、各系列間で切磋琢磨してきた」とのことです。

 しかし、その成果が出ているとは言えないでしょう。各系列は “横並び” ですし、他系列の誤報・捏造・歪曲には見て見ぬ振りです。

 テレビ局が報じた内容はネットで精査され、批判が上がっている状況なのです。ごく少数の放送局に寡占が許されていることが問題と言えるでしょう。

 

BPO は「放送法4条は倫理規範」と宣言

 「目を背けたくなる放送内容」であるかを最終的に判断するのは視聴者です。また、番組制作者が『自分たちの定める倫理規範』を基に「目を背けたくなる放送内容か」を判断し、番組を作れば良いことです。

 それが嫌なら、民放各局は BPO を姿勢を転換させなければなりません。なぜなら、BPO は2016年に行われた参院選に対し、次のような意見(PDF)を表明しているからです。

  1. 放送法4条は『倫理規範』
    → 憲法で『表現の自由』が保証されているから
  2. 放送局には「選挙に関する報道と論評の自由」がある
    → 『選挙運動』でなければ、何でもOK
  3. 『選挙に関する報道と論評』に求められるのは「量的公平」ではない
    → 編集が「質的に公平」と判断すれば問題なし

 BPO が放送法4条を死文化するための旗振りを行ってきた経緯があるのです。そして、上記の主張内容は現在でも有効なままです。効果を発揮しない放送法4条を “葵の御紋” のように掲げ、放送局が「我々は公平・中立な放送をしている」と強弁している状況こそ、デタラメと言えるでしょう。

 

外国資本の放送局を懸念するなら、資本関係の公開を義務づければ良い

 テレビ朝日が「外国資本の放送局」を懸念する理由は放送の内容が重複するからでしょう。

 衛星放送(CS 放送)では外国資本のチャンネルが存在しています。それが地上波にも進出するだけの話です。CNN (アメリカ)・BBC (イギリス)・KBS (韓国)は CS 放送で視聴ができますし、地上波で放送されたところで視聴者に大きな変化はないと予想されます。

 ただ、CCTV (中国)の日本の地上波放送に参入は別です。なぜなら、ほとんどの民放各局は『CCTV の日本支局』のような番組内容を放送してきた経緯があるからです。

 もし、CCTV が日本の地上波に系列局を持つなら、日本語での放送に力を入れると予想されます。その結果、既存の民放キー局が “北京の政治的主張” を代弁してきたことが明るみになる上、本家本元と政治コンテンツでの勝負が強いられることになるでしょう。

 資本関係を心配するなら、すべての放送局の資本関係を公開するよう義務づければ良いだけの話です。

 

 日系資本の放送局であれ、外資系資本の放送局であれ、誤報・捏造・歪曲については放送局間で批判しなければなりません。横並びを重んじ、見て見ぬ振りでミスに “お目こぼし” をすることが当たり前になっている既存放送局には極めて厳しい環境になることでしょう。

 「これまで通りのぬるま湯に浸かり続け、オイシイ思いをし続けたい」と駄々をこねているだけなのです。『構造改革』や『時代への適応』を他の業界に要求してきたメディアにも、その波が押し寄せたに過ぎません。業界が自己保身に走っているだけですから、同情する必要すら皆無と言えるのではないでしょうか。