前川喜平氏の講演を擁護する NHK 西川龍一解説委員は「前川氏がなぜ適任者と言えるのか」という点に言及すべきだ

 NHK の時論公論で西川龍一解説委員が「文科省が行った前川氏の講演内容に対する問い合わせ」を批判しています。

 しかし、「名古屋市の中学校が前川氏に講演を依頼したこと」が発端なのです。前川氏は反安倍政権の言動を繰り返していますし、中立性が求められる公立校での講演をするには適任とは言えないでしょう。

 そのため、「前川氏を講演者として呼ぶに相応しい」との判断を下した理由を説明する必要があるのです。

 

 メールの内容が、前川氏が天下り問題で辞任していたことや、出会い系バーの店を利用していたことを指摘するなど、個人への中傷とも取られかねないおよそ道徳的とは思えない内容が含まれていることにも批判があります。前川氏が行った授業というだけで法令違反でもないのに詳細な質問をすること自体、現場の萎縮や忖度を生むおそれがあり、行きすぎだという声が教育関係者の間にも広がっています。

 (中略)

 学習指導要領の型にはまった窮屈な教科書や学校現場の萎縮を生むような文部科学省の対応がそのことを想起させるようなことはあってはなりません。

 教育現場が『萎縮』することは問題が生じる原因となるでしょう。しかし、『暴走』しても問題は起きるのです。

 そのため、「現場が『萎縮』しないが、『暴走』もしない」というバランスが要求されるのです。

 NHK の西川解説員は『萎縮』については懸念を示す一方で、『暴走』は起きるはずがないと決めつけています。このような認識は大きな問題と言えるでしょう。

 

教育現場の暴走を止める責任はどこにあるのか?

 教育現場には「誰を講師として招くか」を決定する権利があります。ただ、「なぜ、その人物を講師として招いたのか」という理由を説明することが条件でしょう。

 「理由の説明・公表すらできず、批判を受け付けない」という姿勢は『現場の暴走』に他なりません。

画像:NHK 時論公論

 NHK 西川解説員の「現場の萎縮を生む」との主張は『現場の暴走』を黙認していることと同じです。『現場の暴走』が起きた際、どの機関が責任を持って対応するのでしょうか。

 その点に対する言及が皆無なのは「解説記事・ニュースとして必要な情報を伝えることができてない」と言わざるを得ない内容となっています。

 

NHK は「前川氏は公立中学校での講演者として適任」と “お墨付き” を与えられるのか?

 まず、前川氏は「文科省の天下り斡旋問題」で辞任することになりました。文科省・事務次官として明確な関与があったのです。また、前川氏が出会い系バーに通っていたことも事実です。

 事実を指摘することが “個人への中傷” に該当するのでしょうか。

 もし、中傷に該当するのであれば、“疑惑” を理由に安倍首相や安倍昭恵氏をバッシングしているマスコミはどうなるのでしょう。前川氏のケースが「中傷とも取られかねない」のであれば、安倍首相夫妻のケースは「完全な中傷」となるでしょう。

 都合の悪い事実を指摘されることを「中傷とも取られかねない」とマスコミが主張する行為こそ、言論を萎縮させる振る舞いなのです。

 前川氏の講演に理解を示す NHK 西川解説委員は「前川氏が公立校での講演者として適格である」との理由を示すべきです。その理由が論理的で説得力があれば、批判など即座に消え去ることでしょう。

 

外部からの指摘を拒絶する教育現場が『暴走』するのは必然の結果

 教育界が『暴走』していることは事実でしょう。ただ、『暴走』の方向は「反政府運動」であるため、黙認されていることが問題なのです。

 公立校では右派・左派に関係なく、中立性が保たれていることが重要です。

 しかし、反政府の左派活動が黙認されている状況が起きているのです。その指摘を受けると、「教育現場が萎縮する」などと開き直りを見せる有様です。「お咎めなし」となる訳ですから、教育現場が『暴走』することは必然と言えるでしょう。

 その対応・対策を講じることは必要不可欠です。前川氏は文科省・事務次官時代の振る舞いから、教育現場で講演を行うには不適切との指摘があるのです。

 まずは「前川氏が適任者である」との理由を NHK 西川解説委員など文科省からの問い合わせに反発する人々は明言すべきでしょう。それをせず、「教育現場が萎縮する」と懸念を示すことは「教育現場の暴走を容認していることと同じ」と自覚する必要があると言えるのではないでしょうか。