朝日新聞・三浦英之記者、「防波堤よりブロック壁の撤去に予算を費やせ」と的外れな主張を展開する

 朝日新聞の三浦英之記者が大阪府北部で大きな被害が出た地震に対し、「国は防波堤より、ブロック壁の撤去に国家予算をつぎ込め」とツイートしています。

 正しいように見える主張ですが、的外れであると言わざるを得ません。公共事業をバッシングしてきた朝日新聞には批判する資格はない上、多くの国民の命を救う可能性を高める防波堤の建設を怠る理由がないからです。

 

三浦英之記者のツイート

 三浦記者は以下のツイートを行いました。

画像:三浦英之記者のツイート

 あまりにも悲しすぎるよ。学校にこんな粗末な造りのブロック塀。莫大な国家予算で不必要な防波堤たくさん築くよりも、まずは身近なブロック塀を国には撤去してほしい。所有者だけじゃなく、通りすがりの人が被害が及ぶ凶器

 NHK が「大阪・高槻市で登校中に崩れたブロック壁によって女児が亡くなった」と伝えるツイートを引用し、上記の見解を自らのアカウントで投稿したのです。

 個人の感想である前半部に共感する人は多いでしょう。しかし、後半部にある「国への注文」は大きな問題があります。

 

東日本大震災の被害は津波によって引き起こされたもの

 まず、三浦記者が再認識する必要があるのは「東日本大震災の死者・行方不明者は津波によるもの」という点です。

 地震の揺れによって建物などの下敷きになって亡くなった人は少なく、ほとんどが津波が原因です。つまり、「防波堤を適切に設置すること」が同様の被害を防ぐ再発防止策なのです。

 三浦記者は「不必要な防波堤をたくさん築く」と批判していますが、何を根拠に不必要と断言しているのでしょうか。

 無人の地域に防波堤を建設することは “無駄な公共事業” の典型例でしょう。しかし、住み慣れた集落が存在するなら、「無駄」と言い切るのは困難です。

 遺族が起こす民事訴訟では「1億円前後」が認められます。50人が住む集落なら、約50億円の価値と算出される可能性が高い人命を「どれだけの予算を費やして守るのか」が行政に求められていると、マスコミは認識しなければなりません。

 

国の保有物ではない “身近なブロック壁” を公共事業で撤去するという愚策

 阪神大震災でも崩れた壁や家具の下敷きになって亡くなった人はいたはずです。ただ、多くの犠牲者は「崩れた建物」が原因で亡くなっていたため、耐震基準が厳しくなりました。

 これは「同様の地震が再び発生した際、被害を限定的にする」という点に基づく対策で、上手く機能していると言えるでしょう。その証拠に、阪神大震災以後に発生した地震では「崩れた建物」が原因で亡くなる人の数が激減しているからです。

 建物や大きな家具・家電の耐震対策が進んだことで、耐震化の進みが遅れている部分(= ブロック壁など)にスポットが当たるようになったと言えるでしょう。

 浮き彫りになった問題を放置したままにすべきではありません。しかし、「国が公共事業でやる」と発表した途端に “地上げ” と同じ問題が発生します。

 「ブロック壁の撤去に応じれば、国からの給付がある」という形になる訳ですから、ゴネ得を狙う輩が大量発生することでしょう。公共事業費が増大する可能性が高い案件を進める意味は見当たらないのです。

 

社会派のスタンスを採るなら、「空き家問題」にスポットを当てたらどうか

 大阪・高槻市で起きたブロック壁の倒壊による女児死亡事故をメディアは大々的に取り上げることでしょう。ただ、欠陥建造物であったことが確定的な案件を取り上げるなら、「空き家問題」にも同じだけのスポットを当てるべきです。

 「固定資産税の支払い」を理由に空き家のまま放置され、地震などで倒壊の可能性が指摘されている空き家が全国には多数存在しているのです。

 『空き家対策法』が施行され、自治体による強制撤去が可能になったのです。ただ、空き家の撤去を強制執行しても、所有者に資金がなければ解体費用は自治体の持ち出しになるという問題点は解決の見通しが立っていません。

 こうした問題を世間に知らせ、解決案を提示することが “クオリティーペーパー” に期待されている役割と言えるのではないでしょうか。