『個人の所有物である学習用教材』を “置き勉” することのリスクとコストを学校に押し付ける文科省の通知はおかしい

 NHK によりますと、文科省が「子供たちのランドセルが重すぎる」などの意見を受け、“置き勉” を認めるよう全国の教育委員会に通知を出すとのことです。

 これは「リスク」と「コスト」の点が都合良く無視された通知と言えるでしょう。なぜなら、学校側に負担を押し付ける形となっているからです。

 

 文部科学省は全国の教育委員会などに、従来の学校の対応を見直すよう近く通知する方針です。具体的には、家庭学習で使用しない教科書や、リコーダーや書道の道具などについては、施錠ができる教室の机やロッカーに置いて帰ることを認めるよう求めています。

 “置き勉” には「通学時の荷物を少なくできる」というメリットがありますが、「破損・盗難のリスクがある」というデメリットも存在します。

 生徒自身がデメリット面を引き受けることで、置き勉は従来でも可能でした。しかし、文科省が「置き勉を容認する通知」を出すことで、学校側に管理責任が転嫁されることになるため、“おかしな通知” と言わざるを得ないでしょう。

 

「20人を対象にした調査」が『統計的な根拠』となり得るのか

 白土健教授(大正大学)が「苦役のような通学は見直すべき」と主張していますが、NHK が報じている調査対象の数が少なすぎるでしょう。

 子どもたちのランドセルの重さについて、大正大学の白土健教授が去年、小学1年から3年までの合わせて20人の児童を調査した結果、平均の重量は7.7キロでした。

 3学年で20人ですから、1学年あたり 6〜7 人となります。このサンプル数で統計的な根拠として良いのでしょうか。

 また、「体重の20%から30%の荷物を長時間持つと健康に悪影響があるという話もある」と白土教授は主張していますが、長時間の具体的な定義は示されていません。「徒歩での通学時間がどれぐらいか」も合わせて提示しなければ、説得力に欠ける主張と言えるでしょう。

 

“置き勉” という形を採るなら、従来どおりに「生徒自身の自己責任」とすべきだ

 置き勉を学校公認とするなら、学校側が新たに設備投資をする必要が生じます。

 「ランドセルが重すぎる」との声は小学校低学年を代弁した主張でしょう。この主張には賛同できますが、「置き勉」は解決策として適切とは言えません。

 なぜなら、“置き勉” をするのが小学校の低学年だからです。教材の破損や盗難を防止するために個人ロッカーを設置しても、彼らが鍵を忘れれば、教材を家に忘れたことと同じ状況が起きてしまいます。

 近年は「壁のない教室」の導入を進めている学校もあるため、「鍵のかかる教室」があるとは限りません。また、施錠するタイミングの問題から、結局は「個人ロッカーの設置」が現実的な解決策になることが予想されるだけに設置場所と費用の問題が浮上することになるでしょう。

 保護者が「置き勉のための費用」を拠出する可能性は低く、結果的に学校負担となることが想定されます。そのため、良い解決策とは言えないでしょう。

 

「学校所有の教材を貸し出すことが原則、希望者は購入可能」とルールを改めるべきでは?

 普段の通学での荷物を増やす要因は「学校での授業」と「家庭での学習(=宿題)」で使用する教材が多いことでしょう。

 『書道の道具』も文鎮は確かに重量を稼ぎますが、毛筆の授業でなければ不要です。したがって、「学校での授業」と「家庭での学習(=宿題)」の両方で使用できる体制を小学校低学年を対象に整えることが解決策となるはずです。

  1. 小学校低学年で使用する教材は学校側が所有・管理し、授業時に生徒に貸し出す
  2. 希望する生徒には従来価格で販売
  3. 落書きなどで教材を破損した場合は生徒が弁済する
    → 自宅用教材に破損がない場合はそれを弁済物とすることも可

 小学校高学年になれば、身体は成長するため、(自分の)荷物の持ち運びが苦痛となることは少なくなります。厳しいのは小学校の低学年なのですから、3年生または4年生までを対象に学校用と自宅用の両方で同じ教材を使えるような体制を構築することが理想となるでしょう。

 これで登下校時に持ち運びする必要があるのは「ノートと筆記用具」がメインとなり、日によっては「書道の道具」が加算されるため、ランドセルの中身をかなり軽くすることが期待できると考えられるからです。

 

 “置き勉” を認めるだけなら、現場の教員に余計な負担を増やすだけになるでしょう。それなら、学校側が所有する教材を貸し出すという形で、登下校時に持ち運びする必要のない体制を考えても良いはずです。

 「他人の所有物を管理する」と宣言するのであれば、相応の責任が発生するのです。文科省は現場では対応に当たらないため、通知を出すだけで済みます。しかし、現場の教員は “置き勉” が絡んだ問題に対する責任を負う立場となるため、結果的に業務量が増えることになるでしょう。

 文科省は現場に余計な通知を出す暇があるなら、まずは不祥事が連発している現状を認識し、組織の立て直しを図るための通知を省内に出すべきと言えるのではないでしょうか。