大坂なおみ選手の帰国記者会見で悪目立ちした濵田理央氏、「今後も同様の情報発信を続ける」と宣言

 テニスの全米オープンを制した大坂なおみ選手の帰国会見で差別思想を誘導するなどの “悪目立ち” をしたハフィントンポストの濵田理央氏がウェブで質問の意図を釈明しています。

 濱田氏にとっては残念なことに釈明は炎上を招くことになってしまいました。これは自らの非を認めず、正当性をしたことに加え、「スポーツの多様な側面に注目しながら、スポーツやアスリートの情報を発信していく」と開き直ったからでしょう。

 「スポーツを『正面』から伝えようとはせず、『側面』に注目した記事を書くための悪質な誘導質問をしたことが大きな批判を招いた」と自覚できなければ、濱田氏は今度も同様の失態を繰り返すことになると思われます。

 

 記者は大坂選手について「全米オープン・シングルス部門で優勝した初の日本人プレイヤーになったことで、血統を重視する日本の伝統的な考え方に異を唱えることに一役を買っている」などと伝え、「日本人像」を変えうる存在として紹介していました。

 記事ではさらに、大坂選手が自身の多様なアイデンティティについて「おそらく、私が何者なのかみんな正確に示せないからでしょう。だからそれは、誰からでも応援してもらえるということです」と語ったと取り上げています。

 一連の報道から、大坂選手はアイデンティティや日本人観への考えを話してくれるものだと、私は考えたのです。

 濱田氏の考えは「浅はか」と言わざるを得ません。なぜなら、記事の時系列が逆になっている上、自らの主張内容に合致するように都合の良い解釈が行われているからです。

 

大坂なおみ選手が「私が何者かみんな正確に示せない」と語ったのは全米オープン前

 濱田氏はニューヨーク・タイムズが取り上げた大坂なおみ選手の記事を理由に「アイデンティティや日本人観への考えを述べてくれる」と弁解しています。しかし、奇妙なことがあります。それは記事が発表された時系列です。

 大坂選手が多様なアイデンティティについて語ったとされる記事は8月23日に掲載されており、これは全米オープンが開幕する前のことです。

 And she has become aware that her mixed identity may bring her more fans around the world. "Maybe it's because they can't really pinpoint what I am," she has said, "so it's like anybody can cheer for me."

 上記が該当箇所ですが、インタービュー記事であり、記者が行った質問内容が記事では(編集の関係で)抜け落ちている可能性に留意する必要があります

  • Q. 大坂選手は日本・アメリカ・ハイチのルーツを持っていますが、なぜ世界中のファンから愛されるのでしょう?
  • A. 彼らが私を何者なのかピンポイントで指摘できないからでしょうね。だから誰もが私を応援できるのです

 このような質問をすれば、大坂選手のコメントを引き出すことは可能です。「複数のルーツを持っているから、“2番目のお気に入り選手” として応援してもらえる要素がある」という『模範解答』をしたと想定する必要があるため、この件を帰国記者会見の場で取り上げることはリスクが高いと判断しなければならないでしょう。

 

「『日本人像』を変えうる存在」と言ったのは日本国内の “活動家”

 次に、「『日本人像』を変えうる存在」とニューヨーク・タイムズが紹介したのは9月9日のことであり、記事を書いたのは日本支局長のモトコ・リッチ氏です。

 記事はモトコ・リッチ氏が集めた「大坂なおみ選手の全米オープン制覇に対するコメント」で構成されており、選手自身のコメントはありません。つまり、大坂選手は『日本人像』や『自身のアイデンティティ』に対するコメントには言及していないのです。

 この点を見落としている濱田氏の主張は説得力に欠けると言わざるを得ません。

 朝日新聞の社内にオフィスを構えるニューヨーク・タイムズの日本支局長が書いた記事を持ち出し、大坂なおみ選手に「偏見にさらされた経験がある」と口にさせようとした “結論ありき” の誘導質問が批判されているだけなのです。

 しかも、「スポーツ報道を入口にすることで教育やジェンダー、テクノロジーなど、普段は敬遠してしまうかもしれないテーマにも耳を傾けやすくなると考えている」との見解を述べており、『スポーツ選手の知名度』を使って『自身の政治的価値観』を読者に押し付ける意図があると自供しています。

 おそらく、今後も濱田氏やハフィントンポストはスポーツ選手を『差別される被害者のアイコン』として担ぎ上げ、「差別思想が蔓延する日本社会を憂う記事」を書き続けるために存在もしない差別問題を作り出すことに精を出すことでしょう。

 

ラグビー日本代表には帰化選手やハーフの選手が多数選出されていることを無視しているメディアの存在価値が疑われる

 世界で活躍した「ハーフの日本人アスリート」にスポットを当てた記事を書きたいなら、ラグビー日本代表を取り上げれば済むことです。帰化選手やハーフ選手が在籍している訳ですから、『アイデンティティ』に言及してくれる選手もいるでしょう。

 ただ、2015年のラグビーW杯では「〇〇系日本人」と自国の代表には用いない表記をしたイギリス紙がコメント欄で批判にさらされていますので、安易に扱うことができるテーマではありません。

 「旬のネタ」を扱いたい社会部の記者が “自分の書きたい記事” のネタを著名スポーツ選手に作らせようとし、それが派手に失敗したのが今回のハフポなのです。自分たちの取材に対する準備不足や認識の甘さを自覚できず、迷惑をかけた選手に対する謝罪すら存在しないことは大きな問題と言えるでしょう。

 取材対象者が誤解を招かないような質問ができなかった事態を重く受け止め、まずは自らの質問力を磨くための勉強をやり直す必要があると言えるのではないでしょうか。