「審査会の委員がヘイトと思う行為は差別」との条例が東京都で成立

 NHK によりますと、都議会の定例会で性的マイノリティーへの差別やヘイトスピーチをなくすための条例案が可決・成立したとのことです。

 この条例は「差別の定義」が曖昧で、恣意的な運用ができることが問題と言えるでしょう。また、「あらゆる差別をなくす」と述べていますが、「日本人へのヘイトスピーチ」は対象外となっていることも問題と言えるはずです。

 

 東京都は、開会中の都議会の定例会に、あらゆる差別を認めないオリンピック憲章の理念の実現に向けて、性的マイノリティーへの差別やヘイトスピーチと呼ばれる民族差別的な言動をなくすための独自の条例案を提出しています。

 条例案には、差別解消や理解促進に都が率先して取り組むことや、ヘイトスピーチを繰り返すような団体に対し、都の施設の利用を制限することなどが盛り込まれています。

 3日夜は都議会の総務委員会で条例案の審議が行われ、自民党が「不当な差別についての十分な定義がなく、拙速に制定すべきではない」などとして、今回の定例会で結論を出さず継続して審議するよう求めて反対しましたが、自民党以外のすべての会派が賛成し、可決しました。

 

差別の定義・範囲が曖昧で、審査会委員の恣意的な意向に左右される条例

 大阪でも似たような条例が制定されていましたが、東京都でも “同様の問題を抱える条例” が成立したことは問題と言えるでしょう。

 この条例が抱える問題の1つは「不当な差別に対する定義がないこと」です。『差別』は問題であるとの認識は誰もが持っていますが、「どの行為を “不当な差別” と定義するか」という点においては個人差が存在します。

 本来、差別の定義を行うのは東京都の責任です。これは東京都が条例として制定することに奔走している訳ですから、当然の責務と言えるはずです。

 しかし、実態は審査会に丸投げしています。“不当な差別” と認定する十分な定義が存在しないのですから、「審査会の委員が『差別』と主張すれば、差別行為が認定される恣意的な運用が行われる」という事態は避けられないと言わざるを得ないでしょう。

 

都が取り組むのは『外国人への不当な差別的言動』への解消であり、「あらゆる差別」を解消する気は見られない

 東京都はオリンピックに向け「あらゆる差別をなくす」ことを念頭に置いているようですが、『日本人への不当な差別的言動』は対象に含まれていないのでしょう。該当の条例(PDF)には以下のように記載されているからです。

第八条 都は、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(平成二十八年法律第六十八号。以下「法」という。)第四条第二項に基づき、都の実情に応じた施策を講ずることにより、不当な差別的言動(法第二条に規定するものをいう。以下同じ。)の解消を図るものとする。

 『本邦外出身者(=外国人)』への「不当な差別的言動」は明記されていますが、日本人を対象にした「不当な差別的言動」はヘイトスピーチとして都は取り締まらないのです。この姿勢は問題と言えるでしょう。

 “あらゆる差別” の解消に取り組むのであれば、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」ではなく、「出身地に基づく不当な差別的言動」とすべきでしょう。そのような文言に変更することで、国籍や出身地に関係することなく「不当な差別的言動」を一律に制限することができるからです。

 

外国人や外国メディアによる『日本向けヘイト』も同様に取り締まるべきだ

 日本における「ヘイトスピーチ対策」はいずれも「加害者は日本人である」との一方的なものばかりです。外国人や外国メディアによる『日本に対するヘイトスピーチ』は野放しになっているのですから、意味のないものと言わざるを得ません。

 日本や日本人に対するヘイトスピーチも『差別』として対処する必要があるはずですが、東京都は取り締まりに本腰を入れる様子はありません。なぜ、本腰を入れないのでしょうか。

 海外メディアから「言論弾圧」との批判が怖いと主張するなら、「日本人には言論弾圧しても良い」と認めていることと同じです。こうした間違ったメッセージを行政が送ることで、日本や日本人に対するヘイトスピーチを助長していると認識する必要があります。

 「反ヘイト」を掲げる界隈は『在日に対するヘイトスピーチ』には敏感であっても、『在日(の活動家ら)によるヘイトスピーチ』は黙殺する傾向にあります。声が大きい活動家界隈に寄り添うと、外国人全体が “腫れもの” として扱われ、社会の分断を招く原因になってしまうことでしょう。

 

 日本国内で禁じられている政治活動を行う外国人に「母国に帰って政治活動をやれ」と発言しても、ヘイトスピーチに認定されるリスクがある条例が東京都で成立したのです。『言論・表現の自由』が制限される事態が起きていると言えるのではないでしょうか。