横綱審議委員会は『稀勢の里を横綱に推挙した時のロジック』で稀勢の里に引退勧告をしなければならない
平成30年(2018年)の九州場所が行われていますが、1人横綱として出場している稀勢の里が初日から3連敗と限界をさらしています。
敗けが先行すると場合によっては「休場」もあり得るでしょう。しかし、稀勢の里は横綱審議委員会からの “配慮” を受け、進退を賭けることすら避けられて来た稀勢の里にその選択肢は存在しません。
横審は「2場所連続優勝」という『内規』ではなく、「年間を通して最も安定していた」という理由で『横綱・稀勢の里』を誕生させたのですから、同じ理由で横綱・稀勢の里に引退を勧告する責務があると言えるでしょう。
「昇進前6場所の成績が優秀だった」との理由で誕生した横綱・稀勢の里
横綱に昇進するには「大関の地位で2場所連続優勝か、それに準じる成績」が『内規』となっています。ほとんどの横綱がこの条件を満たし、横綱への昇進を果たしています。
ただ、正式な規則ではありません。そのため、横綱審議委員会が強く推挙すれば、内規を満たしていない状況でも横綱が誕生することになるのです。稀勢の里はこちらのパターンです。
2場所連続優勝をしていなかった稀勢の里は「昇進前6場所の成績が(当時の3横綱が記録した成績よりも)優秀」との理由で横綱審議委員会が推挙し、横綱昇進となりました。
たしかに、6場所での成績が74勝16敗(勝率8割2分2厘)は立派なものです。横綱とほぼ同じ対戦相手が組まれる大関の地位での成績なのですから、『推挙』の理由になって当然と言えるでしょう。
ただ、『横綱に推挙された理由』を満たすことができなくなった場合は「進退の決断」が迫られる根拠になることを忘れてはなりません。
横綱審議委員会は稀勢の里に『引退勧告』をしなければならない
横綱審議委員会は稀勢の里を「年間を通して安定した成績を残せる」との理由で横綱に推挙しました。それなら、年間を通して安定した成績を残せなくなった横綱・稀勢の里に『引退勧告』を通告する責務が横審にはあるのです。
3横綱が今年の九州場所が始まるまでの3場所で残した成績は下表のとおりです。
白鵬 | 鶴竜 | 稀勢の里 | |
---|---|---|---|
11月場所 (平成29年) |
14-1-0 | 0-0-15 【全休】 |
4-6-5 (金星:5) |
1月場所 (平成30年) |
2-3-10 (金星:2) |
11-4-0 (金星:1) |
1-5-9 (金星:3) |
3月場所 | 0-0-15 【全休】 |
13-2 | 0-0-15 【全休】 |
5月場所 | 11-4-0 (金星:1) |
14-1-0 (金星:1) |
0-0-15 【全休】 |
7月場所 | 3-1-11 | 3-3-9 (金星:2) |
0-0-15 【全休】 |
9月場所 | 15-0-0 | 10-5-0 | 10-5-0 (金星:1) |
合計 | 45-9-36 (勝率:.500) |
51-15-24 (勝率:.566) |
15-16-59 (勝率:.166) |
休みが「敗け」にカウントされるため、白鵬や鶴竜の勝率は5割台に留まっています。しかし、両横綱はそれぞれ2場所で優勝していますし、出場時の勝率は7割強を超えています。
モンゴル人の両横綱と比較すると、横綱・稀勢の里の成績は散々です。勝率は1割6分6厘と「悲惨」です。出場時の勝率ですら、5割を切っている状況(勝率:4割8分3厘)なのです。また、金星を9つも供給しており、横綱に求められる内容とは到底言えないでしょう。
つまり、横審は「自分たちが横綱に推挙した理由を満たせなくなった稀勢の里」に対し、引退勧告を行うことで、自らの立場に一貫させなければなりません。それができるかが問われているのです。
稀勢の里は「休場」に追い込まれているではなく、「引退の危機」に追い込まれている
「稀勢の里は休場に追い込まれるかも」と相撲協会などからコメントが出ていますが、これは間違いでしょう。なぜなら、すでに休場を繰り返して来た稀勢の里に「休場」という選択肢は残されていません。
“背水の陣” なのです。九州場所が始まるまでの6場所で15日間を戦い抜けたのは前回の9月場所のみ。成績は10勝5敗と「横綱としては不十分なもの」でした。
今場所は「11勝以上がノルマ。2横綱が休場のため優勝争いの先頭に立つこと」の2つを満たすことが条件だったと言えるでしょう。ですが、現状は初日から3連敗。金星も2つ提供しています。
敗けが込んだ横綱は「休場」をすることで、醜態をさらすことなく、来場所での再起を狙います。しかし、これ以上の「休場」は不可能である稀勢の里には「今場所で勝ち続ける」しか道は残されていないのです。
勝てなくなった横綱には「引退」を勧告することが八角理事長や横審の役目であるはずです。自分たちが生み出した『日本人横綱』の力士生命にピリオドを打つことは心苦しいかもしれませんが、自らの手で幕引きを行うべきでしょう。
国技として “筋” を通す必要があると言えるのではないでしょうか。