広河隆一氏の性暴力問題、『ヒューマンライツ・ナウ』が訴えを黙殺していた事実が発覚 “救わなければならない人” を黙殺した責任は重い

 週刊文春が広河隆一氏の性暴力問題を告発する記事を掲載したことを受け、広河氏自身の謝罪コメントがホームページ上で掲載されたと朝日新聞が報じています。

 加害者とされる人物が告発内容を認める形で謝罪していることから、報じられた内容は事実なのでしょう。#MeToo に該当する事案なのですが、これが思わぬ方向に “飛び火” する事態となっています。

 なぜなら、#MeToo 運動に深く関わって来た人権団体である『ヒューマンライツ・ナウ』が被害者からの告発相談を黙殺していた事実が明らかになったからです。人権団体として “救わなければならない人” の訴えを黙殺していた事実は致命的失態を言わざるを得ないでしょう。

 

広河氏の性暴力報道を受け、『ヒューマンライツ・ナウ』が出した見解

 『ヒューマンライツ・ナウ』が広河氏の性暴力問題報道を受け、以下の見解を発表しました。

画像:HRNが発表した広河氏の性暴力問題への見解

 当団体は、過去に広河氏を講師に迎えた講演会開催、広河氏の写真提供を展示会の開催等を行った経緯があり、知らなかったとはいえ大変残念に感じております。

 性暴力は許されるものではなく、ヒューマンライツ・ナウは、#MeToo をサポートし、今後も勇気を出して声をあげた人々に寄り添う活動を展開してまいります。

 (中略)

 ※ なお、ヒューマンライツ・ナウ関係者は被害者の一部の方から事前に、告発に関わる相談を受けていました。

 性被害の告発は、報道直後に二次被害が発生することが多々あり、告発をされた当事者に社会的名声がある場合、その業績を強調して匿名で名乗り出た被害者の信ぴょう性を疑問視したり、被害者を傷つけることがあります。

 そうした材料を提供するのは適切ではないと判断し、同氏に関する記載を非表示にする扱いを取りました。

 ただ、この見解文が皮肉なことに “人権屋” どころか “偽善者” であることが浮き彫りになってしまったと言わざるを得ません。なぜなら、それだけ問題のある内容となっているからです。

 

矛盾1:「告発相談を受けていた」にも関わらず、「知らなかった」と弁解

 まず、『ヒューマンライツ・ナウ』にとって致命的なのは「事前に告発に関わる相談を受けていた」との事実が存在することです。

 「告発相談を受けていた」という事実を公表した姿勢は評価できます。最低な人権団体なら、この事実を公表することすら拒んだことでしょう。しかし、人権団体であるにも関わらず、告発相談を受けた後の対処が不適切だったことは否定できません。

 なぜなら、週刊文春にスクープとして報じられたことで、『ヒューマンライツ・ナウ』が具体的なアクションを起こしていないも同然であることが浮き彫りになったからです。

 「広河氏のスキャンダルを報じた週刊文春が発売される前日(または前々日)に告発相談を受けていた」という対応が時間的に不可能な場合を除き、『ヒューマンライツ・ナウ』の姿勢は厳しい批判にさらされるべきと言わざるを得ないでしょう。

 

矛盾2:広河氏が文春砲を被弾してから、広河氏関連の記事をウェブサイト上から消去

 次に、疑念が持たれるのは「広河氏関連の記事が文春砲が放たれた後に『ヒューマンライツ・ナウ』のウェブページ上から消去された」という点です。

 『ヒューマンライツ・ナウ』のサイト上で掲載されていた「広河氏関連の記事」が文春砲が放たれた後に閲覧不可となり、「削除された」との声が上がりました。これに対し、事務局長を務める伊藤和子氏が「削除ではなく、非表示」と反論し、「なら、その旨をホームページ上に掲載すべき」との再反論を受けた経緯があります。

画像:フランソワーズ二郎氏による反論のツイート

 ツイッターユーザー・フランソワーズ二郎氏などの批判を受け、『ヒューマンライツ・ナウ』は上述の見解と共に記事を閲覧不可にした理由を弁解したのです。

 ただ、「告発相談を受けたなら、その時点で広河氏に関する記事の非表示にしなかった理由は何か」という疑問が生じることになります。

 報道による二次被害を懸念しているのなら、告発相談を受けた時点で広河氏に関する記事を削除または非表示にしていたでしょう。なぜなら、そのように考えているとの見解を表明しているからです。

 しかし、『ヒューマンライツ・ナウ』はそうした対応を採っていなかったのです。「言ってること」と「やっていること」が逆では話になりようがありません。

 

“救わなければならない人” を黙殺した『ヒューマンライツ・ナウ』は上層部の一括辞任を含む解体的出直しが不可避

 #MeToo 運動では「被害者の信憑性を疑問視すること」は “ご法度” という形で活動が行われています。伊藤詩織氏の件でも、そのような姿勢を前面に押し出しているのですから、『ヒューマンライツ・ナウ』の関係者は否定できないはずです。

 そのため、「被害を訴えた者勝ち」となるリスクが現実にあり、人民裁判と化す恐れがあるとの批判も #MeToo 運動に対する疑義として出ていました。こうした批判が起きるのは至極真っ当なものですが『ヒューマンライツ・ナウ』がダブルスタンダードを適用していたことは見落とすべきではないでしょう。

  • 信憑性の疑問視をタブーとしたケース
    • 伊藤詩織氏が被害を訴えた事例
    • ジェンダー法学会で脅迫的言動を行った女性の事例
  • 信憑性の疑問視したケース
    • 「学生時代に仁藤夢乃氏からいじめを受けた」と告発した女性の事例
    • 「広河隆一氏から被害を受けた」と相談した事例

 『ヒューマンライツ・ナウ』に近い人物が告発の対象となったケースでは「信憑性を疑問視した事例」が少なくとも2つはあるのです。『ヒューマンライツ・ナウ』や伊藤和子氏が異様なほどの肩入れを見せる伊藤詩織氏の事例と比較すると、大きな差があります。

 『人権団体』を名乗って活動をしている以上、組織の活動に支障が生じる恐れがある “お仲間” への告発に対してだけは信憑性を疑問視するという姿勢は到底容認できるものではありません。『ヒューマンライツ・ナウ』の存在意義そのものが揺らいでいるのですから、解体的な出直しは避けられないと言えるでしょう。

 

 人権を声高に訴える界隈が自浄作用を備えているのか。自分たちが日頃から厳しく批判する “腐り切った権力者” と同じ振る舞いをする『人権団体』を正面から批判する高い人権意識を持った人や団体がいるのかが注目点と言えるのではないでしょうか。