『ファミマこども食堂』に対し、藤田孝典氏が「企業の宣伝・ CSR に堕ちた」と “貧困ビジネス” の利権を代弁する主張を展開

 コンビニ大手のファミリーマートが『子ども食堂』を全国に展開すると発表したことを日経新聞が伝えています。

 利用者である子供や親からすれば、選択肢が増えることは大歓迎でしょう。それだけ「救済の手が差し伸べられる可能性が高くなるから」です。

 ただ、市民運動に関わる藤田孝典氏が自身のツイッターで「子ども食堂が企業の宣伝・ CSR に堕ちた」と批判しているのです。“子どもたちのための運動” が “子どもたちのための運動を行う活動家のための運動” に陥っており、自壊するリスクが出ていると言わざるを得ないでしょう。

 

 ファミリーマートは1日、全国の2千店で地域の子どもらと交流するイベントを開くと発表した。

 (中略)

 「ファミマこども食堂」を全47都道府県の店舗で実施する。参加料金は小学生以下の子どもは100円、中学生以上や保護者が400円で、弁当やスイーツ、飲料などを提供する予定。参加人数は1回あたり10人程度を想定している。

 2018年8月〜19年1月にかけて東京都や神奈川県など5店で実施したところ好評だったため全国に広げる。

 現状では「イベント」であり、24時間365日の運用が想定されているのではないのです。また、参加人数にも上限がある中でのスタートですから、発展途上段階と言えるでしょう。

 しかし、この動きを市民運動に関わる藤田孝典氏が批判しているのです。「子どもやその親を救う」という目的を忘れ、手段であるはずの「市民運動」が目的と化していることは問題視されるべきです。

 

藤田孝典氏のツイート内容

 反貧困運動に関わる藤田孝典氏はファミリーマートが『子ども食堂』を実施するニュースを受け、批判的なツイートをしています。

画像:藤田孝典氏のツイート

 「名称の簒奪」や「過去の子ども食堂の実績を蔑ろにするもの」と非難しています。このツイートで反貧困活動家の本性が現れたと言えるでしょう。

 なぜなら、「自分たちの “シマ” を荒らすな」と難癖を付けていることと同じだからです。『手段』が『目的』と化しており、「本来の目的」を見失っているのです。ここで方針転換ができなければ、活動家の立場は厳しくなると考えられます。

 

「子どもたちが救われること」が目的であり、行政・企業・市民の誰がどのような形で手を差し伸べても良い

 『子ども食堂』のそもそもの目的は「子どもたちに食事の支援をすること」です。居場所を提供することは付加価値に該当する部分と言えるでしょう。

 食堂を利用する子ども(やその親)からすれば、食事の提供者が行政・企業・市民のどれであっても問題視することは少ないと思われます。なぜなら、食堂の運用者数と選択肢は比例関係にあるからです。

 支援の手は多い方が良いはずです。

 しかし、藤田氏は「先駆者たちの実践(温かい食事、献身的な交流、福祉的支援)に敬意を持って、理念や思想を共有して欲しい」と主張しているのです。いつから『子ども食堂』は貧困ビジネスと化し、市民活動家の独占事業となったのでしょうか。

 献身的な交流や福祉的支援までも求める子どもや親は『ファミマこども食堂』ではなく、『 “先駆者” が運用する子ども食堂』を利用することでしょう。どの子ども食堂を使うかは利用者の自由であり、市民活動家だけが運用できるものではないのです。

 

「継続的な運用ができる大企業よりも先に参入していたこと」を業績として誇れない時点で『子ども食堂』は終わっている

 子ども食堂の先駆者としての自負を持っているなら、「ファミリーマートのような大企業が『子ども食堂』への参入を決めたことを嬉しく思う。私達はこれからも『子ども食堂』の運営を続けるとともに、他の分野にも支援の手を広げられるようにしたい」と述べるべきでした。

 なぜなら、社会貢献活動の先見性があったと主張できるからです。ところが、党派色のない企業が参入を表明したことに拒絶反応を示しているのです。

 「どれだけの子どもたちが救われるのか」よりも、「誰が救っているのか」に価値観を置いているのです。「閉ざされた空間で子どもたちを囲い込める状態が維持されること」を要求しているのですから、問題解決に取り組んでいるとは言えないでしょう。

 一過性の自己満足を得たい “市民” が貧困問題を独占的に取り扱っているなら、貧困対策としては不適切です。なぜなら、活動の元手が枯渇する事態に見舞われた時点で行き詰ってしまうからです。

 企業が儲けながら持続的に支援を行う方が、結果的に救われる人の数は多くなるでしょう。問題解決に本気で取り組んでいるなら、行政や企業を巻き込んだ方が得策です。

 

 社会問題が解決に向かうと、“市民” を名乗った口先だけの活動団体の実態が明るみに出ることを嫌う活動家が反発しているだけと言えるのではないでしょうか。