官邸から「事実を踏まえた質問」の要請を受けた新聞労連が反論するも、屁理屈まみれの上に文章力のなさを示す結果となる

 東京新聞の望月記者が菅官房長官による記者会見の場で事実誤認の質問を繰り返したことに対し、記者クラブに対する要請文が出される事態を招きました。

 これに対し、新聞労連が抗議声明を発表したのですが、内容が屁理屈に過ぎません。また、文章を書く “プロ” である新聞記者より、国の要請文の方が「まとも」という事実にも目を向ける必要があると言わざるを得ないでしょう。

 

官邸が出した要請文の内容

 官邸が昨年(= 2018年)12月28日に出した「申し入れ書」は『以下略ちゃん』という方がブログで掲載しています。なお、概要は以下のとおりです。

画像:官邸からの申し入れ書
  • 望月衣塑子記者による事実に基づかない質問は過去に何度もあり、所属先の東京新聞に抗議し、「適切に指導する」との回答を得ている
  • にも関わらず、事実に基づかない質問が繰り返された
  • 正確でない質問に起因するやりとりがされると、視聴者に誤った事実認識が拡散する
  • その結果、官房長官会見の意義が損なわれる
  • この申し入れは記者の質問の権利を阻害するものでも、条件や制約を設けるものではない
  • 正確な事実を踏まえて質問することを改めてお願いするもの

 要するに、「事実に基づく質問を行うように」と要請するもので、軽く受け流すことができる申し入れです。世間一般では反応するレベルですらないでしょう。

 しかし、新聞記者にとってはメンツが丸つぶれです。なぜなら、「事実確認すら、十分にできていない」と真正面から批判されているからです。そのため、新聞労連が反論文を掲載したのだと考えられます。

 

“屁理屈” で申し入れ書に反論し、逆ギレした新聞労連

 官邸から「事実に基づく質問を」との申し入れを受けたことに対し、望月記者と “馬が合う” 朝日新聞の南彰記者が委員長を務める『新聞労連』が反論文を掲載しています。ただ、その内容が散々なのです。

 政府との間に圧倒的な情報量の差があるなか、国民を代表する記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能で、本来は官房長官が間違いを正し、理解を求めていくべきです。官邸の意に沿わない記者を排除するような今回の申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の「知る権利」を狭めるもので、決して容認することはできません。厳重に抗議します。

 新聞記者の放漫なメンタリティーが存分に浮き彫りになった反論文と言えるでしょう。

 まず、質問する記者が事実確認を怠っているのです。この時点で論外です。記者は情報を持っていないから取材をするのであって、情報収集作業や裏付けを怠っても良いという理由にはなりません。

 例えば、「沖縄県の立ち入り調査を拒んでいる」との望月記者の質問内容が正しいかは沖縄県に裏取りすれば分かることですが、この事前の確認作業を記者は怠っていたのです。

 記者がやらなければならない裏取りをしていないにも関わらず、「官房長官が(記者の)間違いを正し、(記者やその背後にいる国民に)理解を求めていくべき」と主張しているのです。“国民の知る権利” を阻害しているのはマスコミだと言わざるを得ないでしょう。

 

「国民の知る権利」を狭めているのは官房長官の記者会見を私物化する新聞記者である

 新聞労連は「国民の知る権利が狭められる」と抗議していますが、『国民の知る権利』を狭めている張本人は他ならぬ新聞記者自身です。

 不正確な内容に基づく質問、不要な回答を要求する質問、自らの政治的主張を述べるための質問などを望月記者は菅官房長官の記者会見の場で繰り返し行って来たのです。記者会見を私物化している実態を擁護する声明を発表した時点で「終わっている」と言えるでしょう。

 間違いの指摘に対し、「事実関係を1つも間違えないのは不可能」と開き直った挙句、「間違いを正すのは官房長官の役目」と責任転嫁までしているのです。

 このような業界を軽減税率という形で優遇する必要があるのでしょうか。マスコミとしての仕事ができないから、官房長官の記者会見で “悪目立ち” し、講演などで小遣い稼ぎに走る記者を野放しにする意味はないはずです。

 

 自分たちのデタラメな取材手法を正当化するために『国民の知る権利』を軽々しく持ち出されるのは迷惑なことです。新聞労連が主張しているのは『記者の知る権利』であり、『国民の知る権利』ではないからです。

 事実に基づく正確な報道ができないメディアに『国民の知る権利』を掲げる資格はありません。『記者やマスコミの知る権利』という正確な表現で取材対象者に要求を行うべきと言えるのではないでしょうか。