フリーランスの記者を会見から排除する『官邸記者クラブ』が「特定記者の排除や質問制限をするな」と首相官邸に要求する欺瞞

 共同通信によりますと、東京新聞・望月記者が菅官房長官の記者会見を “パフォーマンスの場” として私物化していた件で官邸側から「注文」を受けたことに対し、新聞労連などが抗議活動を行ったとのことです。

 「記者の質問を制限するな」と主張していますが、『記者クラブ』という枠組みでフリーランスの記者などを会見場から制限しているダブルスタンダードを解消することが先決です。実態は世間にバレているのですから、ご都合主義は通用しないと言えるでしょう。

 

 首相官邸が特定記者の排除や質問制限とも取れる要請文を官邸記者クラブに出した問題で、新聞労連や民放労連などでつくる「日本マスコミ文化情報労組会議」は14日、官邸前で抗議行動を行った。現役記者や市民数百人が「言論の自由を守ろう」「記者の質問、制限するな」と声を上げた。

 主催者発表によると、参加者は600人を超えた。新聞労連の南彰委員長は「不当な記者弾圧、質問制限が繰り返されている。悩んでいる官邸記者クラブの仲間たちが立ち上がれるよう勇気づけよう」と呼び掛けた。

 

『記者クラブ』という枠組みで、「不当な弾圧」と「質問制限」を設けていることに無自覚なのは致命的

 問題行為を起こしたのは東京新聞の望月記者ですが、肩を持つのは「記者クラブ加盟社の社員記者」に限られるでしょう。

 その筆頭格が新聞労連委員長の南彰記者(朝日新聞)です。南記者は「記者が不当に弾圧され、質問が制限されている」と主張していますが、ここで言う “記者” は「記者クラブ加盟社の社員記者」の意味です。

 なぜなら、『記者クラブ』という形で加盟社以外の組織に所属する記者やジャーナリストは排除されているからです。

 つまり、記者クラブは「国民の知る権利」を阻害する立場でもあるのです。「身元確認」と「入室時のセキュリティーチェック」を受ければ、フリーランスの記者であっても、官房長官の記者会見には出席できるべきでしょう。

 ところが、記者クラブはそれを認めず、「記者の質問を制限するな」と主張しているのです。「安倍政権を厚顔無恥と批判する記者も、負けず劣らずの厚顔無恥」と世間から判断されるのは当然と言えるでしょう。

 

「菅官房長官に “無意味な質問” を浴びせて時間を浪費させる行為」は『国民の知る権利』を阻害する行為である

 官房長官による午前と午後の記者会見は『記者クラブ』が “主催” しており、出席の義務はありません。そのため、多忙を極める(はずの)官房長官が1日に2度も会見を開く意味はないと言えるでしょう。

 諸外国では一般的な報道官を起用し、官房長官の負担を軽減すべきなのです。

 ただ、記者クラブ加盟社の記者は猛反発するでしょう。なぜなら、報道官が言ったことなどニュースにならないからです。官房長官という “大物” が発言するからニュースになるのであって、報道官の発言から価値を見出す能力を持った記者は少ないでしょう。

 だから、「官房長官本人による記者会見」を熱望し、「会見で記者に自由に質問させろ」と要求しているのです。ところが、自由な質問を許してしまうと、「自説を主張したり、事実に基づかない質問をする」という問題行為が横行する原因になります。

 これらの問題行為は望月記者が実際に起こしていることであり、菅官房長官が “無意味な質問” で拘束されることは「損失」と言わざるを得ません。情報伝達経路が多様化した現代では既存メディアの重要度は低下しており、横柄な要求は世間の反感を買うことを自覚できていないことは致命的になるのです。

 

記者クラブ加盟社の “お仲間” しか「新聞労連らによる抗議活動」を支援していない現状を直視すべき

 新聞労連は自分たちの仕事のために、望月記者の行為を擁護しているのでしょう。しかし、“お仲間” を除けば、記者の低レベルな実態が世間に知れ渡ることの弊害が大き過ぎるのです。

 「事実に基づく質問」ができず、「記者が間違えるのは当然」と開き直った上、「間違いがあるなら、官房長官が訂正するのが責務」と詭弁を展開しているのです。

 これを「マスコミの標準レベル」と世間に認識されると、今後の仕事に支障が出ることは避けられません。「公開情報を正確に認識・理解する」ことに問題があるのですから、取材を受ける価値を見出すことは困難です。

 取材内容を理解できない記者が作った「取材に基づく記事」が正確である保証はありません。それなら、インターネット経由でプレスリリースなどを配信し、対象者が一次情報を直接確認できるようにした方が合理的と言えるでしょう。

 だから、記者クラブという既得権益に基づく特権を得ている記者が「自由な質問をさせろ」と要求したことで、世間が反応しないのです。自分たちの振る舞いが信用を大きく毀損しており、それがメディアの凋落に拍車をかけていることを忘れてはなりません。

 ご都合主義からの転換に本腰を入れない限り、世間からの風当たりは強いままと言えるのではないでしょうか。