国連人権理事会が圧力を加える中、スポーツ仲裁裁判所が「男性ホルモン値が高すぎる女子選手の出場を禁じる規定」を認める

 NHK によりますと、男性ホルモンの一種テストステロンの値が高すぎる女子選手が国際大会の出場を禁じる規定は差別との訴えがスポーツ仲裁裁判所(= CAS)で退けられたとのことです。

 身体能力は男子の方が(平均として)優れています。そのため、実質的な男子選手が「女子選手」として大会に出場できるのであれば、競技の公平性が担保されなくなってしまいます。CAS が下した判断は適切だったと言えるでしょう。

 

 男性ホルモンの値が高い女子選手が、国際大会に出場することを制限する国際陸上競技連盟の規定は差別に当たるなどとして、南アフリカの女子選手が規定の無効を求めている問題で、CAS=スポーツ仲裁裁判所は選手の訴えを退け国際陸連の規定を認める裁定を下しました。

 (中略)

 議論となった国際陸上競技連盟の規定をめぐっては、国連の人権理事会がことし3月、厳しく非難する決議案を採択していました。

 スポーツでは「身体能力」が結果を大きく左右します。男性ホルモンであるテストステロンは「筋肉の増強」の効果があるため、出場選手の平均を大きく超える数値を記録している選手の出場は認められるべきではありません。

 今回のキャスター・セメンヤ選手のケースはこれに該当するのですから、国際陸連の「薬を服用するなどして一定の値まで下げない限り、国際大会への出場は認めない」とした規定は当然と言えるでしょう。

 

女子選手の大会に “肉体的には男子の選手” が出場して良いのか

 セメンヤ選手の件で問われているのは「女子選手の大会に “男子選手の肉体能力” を持った選手が出場して良いのか」です。

 「生まれつき男性と同じ身体能力を持った女性」や「身体は男性だが、精神は女性」といったアスリートが実際に存在するのです。これらのアスリートが “女子の大会” に出場する資格があるのかが問われているのです。

 なぜなら、上述のアスリートが女子大会への出場を認められると、他の女性アスリートを身体能力で圧倒することになるからです。「競技の公平性」が根幹から揺らぐことになるため、“男性の身体” を持つアスリートが『女子大会』から排除されるのは止むを得ないと言えるでしょう。

 これを否定されると、男子と女子でカテゴリー分けを行う根拠自体が消滅することになるからです。

 

国連人権理事会は「女子選手が男子大会に出場できないのはおかしい」との批判もすべきだ

 国連の人権理事会は「規定は差別」と決議し、スポーツ仲裁裁判所に圧力をかけていました。ただ、この姿勢は欺瞞と言わざるを得ないでしょう。

 なぜなら、「女子選手が男子の大会に出場できない現状」には文句を言っていないからです。「男性(の身体を持つ)アスリートが女子の大会に出場できないこと」を批判するなら、男女の立場を入れ替えた形が認められていない状況も批判しなければならないからです。

 つまり、男女によってカテゴリー分けが行われていることがおかしいと主張しなければ筋が通らないのです。

 そうすることで、セメンヤ選手のように “疑惑を持たれた選手” が出てくることはなくなるでしょう。また、「出場選手数の増加」が IOC を悩ますこともなくなると期待できます。これは男女の区別をなくすことで参加選手の絶対数を減らせるからです。

 これらのメリットがあるにもかかわらず、「女子選手が世界最高を決める男子の大会に出場できない」という “門前払い” の是正に乗り出していない時点で国連人権理事会の存在価値は乏しいと言わざるを得ないでしょう。

 

 競技の公平性を保つために「男女」、「体重別」、「年齢」という形でカテゴリー分けが行われています。これは “優位性を持つ選手” が「下のカテゴリ」に参加できないようにすることが目的の現実的な制約です。

 これを取り払ってしまうと「身体能力が優れたアフリカ系」か「大柄な体格を有するヨーロッパ系」にルーツを持つ男性アスリートしか勝てなくなるでしょう。これを防ぐための制約が存在することは止むを得ないと言えるのではないでしょうか。