「女性に不快感を与えた」などの理由で吊るし上げられる社会で「見ず知らずの女性に対して AED が使う男性」が少ないのは当然のこと

 「救命医療機器 AED の使用率がが男女によって異なる」との調査が示されたと NHK が伝えています。

 これはフェミニズムを訴える活動家による結果だと言えるでしょう。なぜなら、「女性に不快感を与えた」との理由で男性側は理不尽な吊るし上げを受けるリスクがあるからです。

 自らの社会的生命を “見ず知らずの女性” のために賭ける男性は少数であり、それが AED の使用率という形で現れているだけと言えるでしょう。

 

 心停止となった人の心臓の動きを正常に戻す医療機器AED。しかし、倒れた人が女性だと、男性よりAEDが使われにくい。そんな調査結果がまとまりました。

 (中略)

 学校にはAEDの設置が進んでいて、もしもの時にはすぐに使えるケースがほとんど。小学生と中学生では男女に有意な差はありませんでしたが、高校生になると大きな男女差が出ていました。

 AEDのパッドが貼られた割合は高校生・高専生で男子生徒83.2%、女子生徒55.6%とその差は30ポイント近くになります。

 

「女性に不快感を与えることはハラスメント(= 嫌がらせ)」として非難される社会

 まず、女性に対して AED の使用率が低い理由は「厄介事に巻き込まれるリスクが男性よりも高いから」と言えるでしょう。

 これは痴漢などが原因です。証拠がある容疑者には有罪判決が下されるべきですが、「矛盾に塗れた被害者の証言だけ」でも有罪となるのです。そのため、「女性の身体と接触する AED の使用を避ける」と判断する男性が増えるのは当然の結果と言えるでしょう。

 したがって、女性が AED の使用が必要な状況に陥った場合、救命行為のために AED が使用されるかは「近くに女性がいるか」に大きく依存していると考えられます。

 救命医療に関わる人々からすれば、「男女に関係なく AED を使って欲しい」という本音があるでしょう。しかし、男性側からすれば「代償があまりに大きすぎる」のです。

 “見ず知らずの女性” のために自分の社会的生命を捨てる覚悟を持つことは困難ですし、『捨てた後の生活』は地獄です。この現状が改善されない限り、AED の男女使用率の差が誤差の範囲にまで近づくことはないと言えるでしょう。

 

「罪に問われない」ことは安心材料ではない、「訴追されること」が問題

 女性に対する AED の使用率が低いことに対し、「民事責任や罪に問われることはない」と専門家が述べています。ですが、この発言による効果は見込めないでしょう。

 なぜなら、「訴追されること」が問題だからです。マスコミは「民事訴訟が起こされた」というニュースに飛びつき、被告側(≒ AED を使用した人)を『犯罪者』として報じます。

 つまり、この時点で AED を使用した人の社会的生命が終わってしまう可能性が高いのです。要するに、民事訴訟で被告が勝訴判決を得ても、“後の祭り” なのです。

 専門家は「罪に問われることはありません」と言っても、裁判所が訴訟を受理した時点で AED を使用した人の社会的生命は絶たれてしまうのです。

 マスコミは犯罪者扱いしたことに対する訂正報道に消極的ですし、ジャーナリストの伊藤詩織氏が被害を訴えた件では検察審査会で「不起訴相当」と判断された後でもリベラル派はレッテル貼りによる名誉毀損を続けています。

 これらの界隈が厳しい糾弾をされない限り、女性に手を差し伸べる男性が増える見込みは少ないと言わざるを得ないでしょう。

 

「正当な医療行為をした医師でも訴追されている現実」も AED の使用を消極的にさせている要因である

 ただ、医療行為全体に対しても「触らぬ神に祟りなし」という状況が蔓延しつつあることも懸念事項です。

 乳腺外科医が「術後せん妄」による被害訴訟を起こされています。地裁では無罪となりましたが、検察は上訴しています。しかも、この外科医は収入を失っていますので、一般人を消極的にさせる十分な理由と言えるでしょう。

 AED を使えば医療行為に加わったことになりますが、使用を見合わせれば「他人」です。“火の粉” が降りかかることを(最初から)回避できるのです。

 守るべきものを持っている男性ほど、すべてを投げ打つリスクを背負うことは簡単ではありません。「リスクを負うことはない」と安全圏から言うだけでなく、「リスクを背負わせようとする輩」の存在感を皆無にしなければ期待する結果は得られないのです。

 手を差し伸べた側が “理不尽な言いがかり” による訴訟を起こされ、原告側の姿勢にマスコミや活動家が強い共感を示せば、「女性には関与しない」が最も合理的な自衛策となります。その結果が AED の使用率に現れているだけに過ぎません。

 

 過剰なフェミニズムが容認されている状況では、女性の AED 使用率が男性並みにまで引き上げられることは難しいでしょう。「女性の権利」を訴えたことで “思わぬ弊害” が浮き彫りになったのです。フェミニストが蒔いた種によって生じた問題はフェミニストに解決させる必要があると言えるのではないでしょうか。