朝日新聞が社説で「(選挙の自由妨害罪に抵触する)演説妨害を許す度量を示せ」と主張、条約や規則を無視する韓国擁護と同じ論理を展開中

 朝日新聞が7月17日付の社説で安倍首相の遊説中に発生している演説妨害に対し、「政権党の度量はどこに」と違法行為を容認する主張を展開しています。

 演説妨害は公職選挙法第225条で定められた『選挙の自由妨害罪』に該当する犯罪です。条約や取り決めた規則を平気で無視する韓国を擁護する社説を掲載した時の同じロジックを使い、「違法行為を許す度量を示せ」と朝日新聞は要求しているのです。

 このような「正直者が馬鹿を見る結果を招く主張」を展開しているから、部数減少に悩む新聞社の中で最も凋落するペースが深刻になっているのでしょう。

 

 念頭にあるのは、2017年夏の東京都議選最終日、秋葉原での街頭演説だろう。聴衆の一部から「辞めろ」コールを浴びた首相が、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と言い返し、自らに厳しい世論に向き合わない姿勢が批判された。

 自民党はこの年秋の衆院選で、首相日程の一部を非公表とした。昨年の党総裁選最後の秋葉原での演説では、公共のスペースであるにもかかわらず、党関係者が一部を区切って、支援者以外を遠ざけようとした。「ステルス遊説」とも皮肉られる今回の参院選対応は、その延長線上にある。

 誰でも耳を傾けることができる街頭での演説は、広く有権者に政見を訴えることに意義がある。支援者しか眼中にないような首相の内向きな姿勢は、現に政権を預かる政治指導者の振るまいとして、著しく度量を欠くものだ。

 

公職選挙法第225条を無視して、与党・自民党に対する演説妨害を容認する朝日新聞

 朝日新聞が社説や個別の記事で「安倍首相の演説にヤジを飛ばす行為」を容認する論調を展開していますが、演説を妨害する行為は公職選挙法第225条で禁じられています。

(選挙の自由妨害罪)
第二百二十五条 選挙に関し、次の各号に掲げる行為をした者は、四年以下の懲役若しくは禁錮こ又は百万円以下の罰金に処する。

  1. 選挙人、公職の候補者、公職の候補者となろうとする者、選挙運動者又は当選人に対し暴行若しくは威力を加え又はこれをかどわかしたとき。
  2. 交通若しくは集会の便を妨げ、演説を妨害し、又は文書図画を毀棄し、その他偽計詐術等不正の方法をもつて選挙の自由を妨害したとき。

 “演説を妨害する行為” は『選挙の自由妨害罪』に該当します。したがって、選挙演説に対してヤジを飛ばす行為は警察官が取り締まりを行う根拠となります。

 むしろ、「取り締まりが行われない方が問題」と言わざるを得ないでしょう。

 

違法行為に手を染める “こんな人たち” を支持し、安倍首相への批判をしたのは野党や左派系マスコミ

 朝日新聞は「自らに厳しい批判に向き合わない姿勢が批判された」と主張していますが、これは「論点逸らし」の詭弁です。

 なぜなら、演説者に対する野次は違法行為だからです。『選挙の自由妨害罪』が注目を集めるようになったのは2017年の都議選での野党支持者らによる演説妨害からでしょう。

 安倍首相の発言は「演説を邪魔するような行為を自民党は絶対しない。相手を誹謗中傷したって何も生まれない。こんな人達に私達は敗ける訳にはいかない」というものです。

 朝日新聞は演説内容を切り取り、「厳しい批判に向き合わない」と社説ででも言いがかりを付けています。しかし、野次が候補者による演説の妨げになっている可能性を無視していますし、「違法行為である演説妨害を容認している時点で問題」と言わざるを得ません。

 違法行為を許すことは「度量」ではありません。韓国のように条約や合意事項を守らない相手を許し続けると、遵法意識が薄れる結果を招きます。

 それによって正直者が馬鹿を見ることになりますし、政権批判のためなら違法行為であっても擁護する方針を朝日新聞が貫く限り、部数減少のペースに歯止めをかけることは難しいと言えるでしょう。

 

「大声で野次を連呼する行為」は “演説を聴取することを困難にする行為” である

 演説は「聴衆が内容を聞き取ることができなければ意味のないもの」です。内容が途切れ途切れになっている演説は騒音と変わりないと言えるでしょう。

 ちなみに最高裁の判例(事件番号:昭和23(れ)1324、 PDF)でも示されていることです。

画像:演説妨害をめぐる最高裁の判例

 「聴衆がこれを聴き取ることを不可能または困難ならしめるような所為があった以上、これはやはり演説の妨害である」と結論づけられているのです。

 なお、原告側は「民族的な義憤に基づく行為」と弁明していますが、最高裁は「そうであっても演説妨害であることに変わりない」と一蹴しています。

 演説を聴くための足を止めている有権者からすれば、野次は迷惑以外の何物でもありません。違法行為に手を染めた輩が現場から排除されたことを「問題だ」とマスコミが騒ぐことで、「政権批判を行う場合は違法行為でも黙認せよ」との “忖度” を要求していることと同じです。

 

 「政権批判を展開する場合は違法行為であっても容認」は明らかに非対称であり、不公平です。公平・中立を主張するメディアの論調として問題があると言わざるを得ません。

 機関紙のように特定国や特定の政党に肩入れをしているから、熱心な支持者以外が見限り大きな理由となり、部数の減少が深刻なペースで続く結果になっていると言えるのではないでしょうか。