「舩後靖彦および木村英子参院議員の議員活動」をサポートする “1番の責任” は所属政党の山本太郎代表にある。議員本人の意向を飛ばして国会に押し付けるな

 重い障害を持つ候補者2名が参議院議員に当選した『れいわ新選組』の山本太郎代表が開票速報番組で「彼らを1番サポートしなければならないのは国会」と言及したと NHK が報じています。

 国会はバリアフリーなど必要なサポートをする必要があることは事実です。しかし、当選した参院議員を1番サポートする必要があるのは国会ではなく、彼らが所属する政党および代表である山本太郎氏自身です。

 議員活動をサポートするための労力をすべて国会に押し付けようとする姿勢は論外だと言わざるを得ないでしょう。

 

 れいわ新選組の山本代表は、民放の開票速報番組で、2人の当選後の対応について、「私ができることはやる。舩後さんや木村さんの重度障害や難病のカバーには専門の方をつけてもらう。ただ、一番彼らをしっかりとサポートしなければならないのは国会だ。健常者のリズムだけで進められることはこれからなくなるので、国権の最高機関が本当の合理的配慮をしっかり形にしていくことが求められる」と述べました。

 

「専門の方をつけてもらう」ではなく、「専門の方が帯同することを許可して欲しい」であるべき

 山本太郎代表の言動からは「舩後靖彦議員と木村英子議員が議員活動を行う際のサポートはすべて国会が負担すべき」との論調が見え隠れしています。

 まず、サポート目的で「専門の方をつけてもらう」と述べていますが、これは「国会が専門の要員を準備すべき」と要求していることと同じです。“特別対応” に該当するのですから、「この要求はおかしい」と言わざるを得ません。

 なぜなら、「舩後議員および木村議員が抱える障害をカバーする専門の方を手配するなら、国会内での活動中に帯同できるよう規則などを変更して欲しい」と要望すべきだからです。

 これは「自分たち(= れいわ新選組)が責任を持って医療資格保持者などを準備ので、他の参院議員と同じ議員活動ができるように配慮を求める」と言っていることと変わりません。

 「専門の方をつけてもらう」では「誰がつけるのか」の主語に該当する部分が曖昧です。この部分を明らかにすることが所属政党の代表である山本太郎氏の責務であると言えるでしょう。

 

国会が対応すべきは「議場への動線のバリアフリー化」と「投票形式の柔軟性」の2点である

 実際に国会側が「受け入れ対応」として行動を起こす必要があるのは次の2点でしょう。

  • 議場への動線をバリアフリー化
  • 議員本人の意思を汲み取るための投票方式を採用

 まず、参議院議員が参院本会議場や委員会の会場に入れなければ本末転倒です。そのため、動線のバリアフリー化が完了しているかを確認し、必要に応じて改修工事をする必要があると言えるでしょう。

 次に、議案に対する議員本人の意思を汲み取るための投票方式を柔軟に運用する必要があります。

 これは「賛成の方は挙手を願います」や「賛成の方の御起立を願います」などの採決方式が用いられた場合に舩後議員や木村議員が自らの意思を表明できない恐れがあります。したがって、どのような採決方式が適切なのかを議員本人を含む関係者からのヒアリングなどで決めておくべきだと言えるでしょう。

 これら2点を除く項目については国会側が舩後議員や木村議員の議員活動に対して特別に配慮する必要はありません。健康管理を行うのは議員本人の責務で行うべきですし、追加で国会が費用負担を申し出ることは “逆差別” に該当することになるからです。

 

舩後靖彦参院議員および木村英子参院議員には「他の同僚議員に負けずとも劣らないレベルの仕事をすること」を要求する

 舩後議員や木村議員は有権者からの投票を得て『国民の代表である国会議員』になりました。つまり、様々な有権者の声を “代弁する立場” にあるのです。

 したがって、他の参議院議員と同水準のレベルで仕事をする(≒ 業績や実績を残す)ことが期待・要求されることになります。

 意思疎通などが理由で業務遂行に遅れが生じることはあるでしょう。しかし、「遂行ペースが遅い障害者に合わせなければならない」との主張は『障害者牛歩戦術』を認めることと同じです。

 れいわ新選組の山本代表は『1人牛歩戦術』など国会審議を妨害した過去があります。「障害者などの立場を改善するための立法化に尽力する政治家」なのか、それとも「障害者を全面に出してゴネ得を狙う活動家」なのかが浮き彫りになるでしょう。

 業務遂行スピードが遅いのであれば、「遅れを最小限する工夫」を事前に準備しておくことが重要になります。世の中の変化に「待った」は通用しませんし、諸外国が決定済みの方針に対して速やかに結論を出すことも国会議員には期待されているのです。

 

 当の参議院議員は「健常者と遜色無い議員活動ができる」と判断したから立候補したはずです。議員自身の意向を示すとともに立派に働いてくれることでしょう。

 もし、“まともな議員活動” ができなかった場合は他の議員と同じ水準を批判を浴びせる必要があると言えるのではないでしょうか。