「警察発表を報じているだけ」との予防線がなければ実名報道に踏み切る度胸のないマスコミに「被害者の氏名」を告げる意味はない

 京都アニメーションの建物が放火された件では “遺族の要請” で亡くなった被害者の実名公表を警察が見送ったことに対し、NHK などマスコミは「異例の対応」と反発批判しています。

 これは身勝手な主張です。なぜなら、マスコミ自身の取材で得た被害者の氏名を実名で報じることは可能だからです。

 マスコミが「警察からの発表がない」と文句を言うのは「警察発表を報じただけ」とクレームが来た際に責任転嫁できるからに他なりません。マスコミには取材した内容を好きに報道する『報道の自由』がある訳ですから、「警察が事件被害者の実名を積極的に公表する必要はない」と言えるでしょう。

 

画像:実名報道に対するNHKの見解

 NHKの考え方
NHKは、事件の重大性や命の重さを正確に伝え社会の教訓とするため、被害者の方の実名を報道することが必要だと考えています。

 そのうえで、遺族の方の思いに十分配慮をして取材と放送にあたっていきます。

 

「実名報道が必要」と主張するなら、「警察発表」を待つ必要はない

 NHK を含むマスコミは「実名報道が必要」と主張しています。これは詭弁と言わざるを得ません。

 事件報道においてマスコミは「被害者の実名」を知っています。亡くなった方々の通夜や葬式などに取材陣が押しかけているのですから、「知らない」と言うことはできません。

 しかし、「警察から被害者の氏名が公表されること」をマスコミは要求しています。この理由は「マスコミは警察発表を報じただけ」と実名報道への批判に弁明ができるからです。

 そのため、マスコミは警察に対し、被害者の実名を公表するよう “圧力” をかけていると言えるでしょう。

 

『社会部』や『報道部』という組織に属する “匿名の記者” が「被害者の実名」を求める欺瞞

 マスコミは「被害者の実名報道」を要求していますが、肝心の記事を書いている記者は匿名なのです。自分たちは『社会部』や『報道部』に属する “個人” としてプライバシーを守る一方、被害者のプライバシーは蔑ろにしているのです。

 これは明らかにアンフェアと言えるでしょう。「被害者の人となりが重要」と言うなら、「記事を書く人の人となりも重要」です。

 「匿名記事で被害者の実名報道をする」ことは欺瞞です。世間の注目度が高い状況の時に被害者の実名を取り上げた “お涙頂戴記事” を書きたいだけに過ぎません。

 記事の執筆責任が曖昧なままなのですから、「被害者の実名が明らかにされていないと不正確なことを報じてしまう」との擁護論は噴飯物です。“角度を付けて報じること” が常態化しているマスコミの身勝手な理論と言わざるを得ないでしょう。

 

私企業であるマスコミが「被害者の実名報道で得た収益」を遺族団体などに寄付したことがあっただろうか

 また、問題視されるべきは「マスコミが『被害者の実名を報じたお涙頂戴記事』で得た収益が被害者や遺族には還元されていないこと」でしょう。

 メディアは「人となりを報じることが教訓として役立つ」と主張していますが、被害者(や被害遺族)へのケアは置き去りになっています。それどころかメディア・スクラムで余計に疲弊することが濃厚です。

 被害者の実名を煽情的に報じれば、マスコミの売り上げはアップします。“唯一無二の感動コンテンツ” が無料で使える上、プライバシー権については「警察発表だ」と開き直れる『最高のネタ』だからです。

 被害者の実名報道で得た収益の大部分をマスコミが自発的に事件被害者や遺族に寄付していれば、まだマシです。しかし、そのような行動に出る報道機関は存在しないでしょう。

 なぜなら、利益重視ではない経営・編集方針を貫く報道機関が存在するなら、マスコミ全体がまとめて信頼を世間から失うような事態にはなっていないと考えられるからです。

 

 被害者を偲ぶのであれば、一周忌が終えた後など “遺族の気持ち” に整理が付いてからでも十分に可能です。京アニの場合は「製作物を “マスコミが” 取り扱うこと」が「マスコミによるお涙頂戴記事」よりも被害者への供養になると考えられるからです。

 マスコミは事件被害者の実名報道をする際、警察発表を “批判への盾” として使っています。そのため、対抗策の1つは「警察庁に『被害者の実名発表の原則禁止』を通達させること」になるでしょう。

 「被害者自身または家族の同意が得られない場合はプライバシー保護の観点から警察は実名発表をしない」とのスタンスが当たり前になるように政治家などを通して働きかけの行動を起こすことが重要になると言えるのではないでしょうか。