「中東への自衛隊派遣」に反対する朝日新聞、イランによるホルムズ海峡での緊張を高める行動は無視する

 朝日新聞が10月20日付の社説で安倍政権が中東海域での船舶の安全確保を目的に自衛隊の独自派遣を検討したことに反対を表明しています。

 「アメリカとイランの仲介者としての立場を堅持せよ」との主張ですが、無理があると言えるでしょう。なぜなら、双方の主張には隔たりがある上、日本経済に欠かせないエネルギー資源の輸入に影響が生じる恐れがあるからです。

 少なくとも、イランは「ホルムズ海峡の安全を確保できない」と首脳が言及した過去があり、この点を踏まえた対応をせざるを得ません。自制を促しても効果がなかった場合を想定した動きを政府はする必要があるからです。

 

 安倍政権が、中東海域での船舶の安全確保のため、自衛隊の独自派遣の検討に入った。米国が主導する「有志連合」への参加は見送る。

 中東への関与で米国の顔をたてる一方、イランとの関係悪化を避けるための苦肉の策なのだろう。活動範囲もホルムズ海峡やペルシャ湾を避けており、イランへの刺激を避けようとする狙いはわかる。

 安倍首相は6月にイランを訪問し、9月の国連総会では米、イラン双方と首脳会談を行うなど、仲介外交を続けてきた。朝日新聞は社説で、こうした努力を支持してきた。

 (中略)

 いま日本がなすべきは、自衛隊の派遣ではない。仲介者としての立場を堅持し、イランに自制を促すとともに、核合意に戻るよう、米政権に粘り強く働きかけることである。

 

政治に要求されるのは「過程上の努力」ではなく「結果」

 朝日新聞は「仲介外交を続ける努力」を支持していますが、政治がそれに満足するようでは困ります。なぜなら、政治で重要なのは「結果」だからです。

 要するに、「日本に向かうタンカーがホルムズ海峡を安全に航行し続ける」という『結果』を出すことが求められているのです。

 極端に言えば、ホルムズ海峡を安全に航行することができれば、中東諸国が関係する諸問題は「二の次、三の次」です。仲介者としての立場を堅持したところで、ホルムズ海峡を航行に支障が生じれば本末転倒です。

 現にイランはロウハニ大統領が「国際的な海上輸送路の安全はこれまでどおりには行かない」と宣言しているのですから、朝日新聞は「仲介者として奔走する日本政府のメンツを潰すつもりか」と厳しい論調でイラン政府を批判しなければならないと言えるでしょう。

 

8月末にイランのロウハニ大統領が問題発言をしている

 問題の発言は2019年8月にロウハニ大統領が行ったものです。イランの最高指導者であるハメネイ師らが参加する会合でロウハニ大統領が「原油の輸出ができないなら、海上輸送路の安全は保障されないだろう」と言及したのです。

 これは「ホルムズ海峡の安全な航行」を “人質” に「イランに科された原油の輸出禁止措置の解除」を要求するものです。

 厳しい批判にさらされるべき要求と言えるでしょう。なぜなら、イラン側の要求に譲歩してしまうと、イラン側が気に入らないことが発生するたびに『ホルムズ海峡の封鎖』が外交カードとして有効になってしまうからです。

 イラン政府がやっていることは「韓国による GSOMIA 破棄の撤回」と同じです。『GSOMIA 破棄』を外交カードとして有効化にしていまうと、事あるごとに『GSOMIA 破棄』を持ち出すことになるでしょう。だから、そのような事態を防ぐために厳しい態度が採られているのです。

 (根本部分での)対応が変化しないのであれば、仲介外交を展開しても効果を得ることはできません。朝日新聞は表面的な部分ではなく、本質的な部分にも目を向ける必要があると言わざるを得ないでしょう。

 

イランの要求は「原油の輸出再開」であり、「アメリカが核合意に戻ること」ではない

 イランが求めるのは「『核合意』が有効だった際に許可されていた原油の輸出再開」です。現状はトランプ大統領が『核合意』からの脱退を実行し、経済制裁を強化したことでイランは原油の輸出ができなくなったのです。

 したがって、イランの自制を促すには「原油の輸出を再開させる」という条件をアメリカから引き出すことが必要不可欠です。

 イラン製の原油が輸出可能となれば、購入時の条件に「ウランの濃縮を行わないこと」を付けることが可能になります。条件が履行されているかの担保をする必要がありますが、ホルムズ海峡に緊張をもたらす行為は自重させることができるでしょう。

 ただ、「ウラン濃縮をするな」、「原油の輸出は認めない」と言うだけではイランが聞く耳を持たなくなるのは当たり前です。しかし、“一線を越えようとするイラン” に理解を示すことができないことも現実です。

 日本にとっての最重要項目は「ホルムズ海峡を安全に航行できること」です。イラン製の核兵器に対する懸念は皆無に近いですし、『核合意』に「中東情勢が安定するため」以上の働きは期待していないでしょう。

 

 政治に求められるのは「結果」です。結果を出す必要のないマスコミが「交渉や仲介の努力」を評価したところで、「結果」を手にしなければ過程で費やしたコストは無駄になってしまうのです。

 “特定の交渉方針を続ける努力” を讃えるマスコミから称賛される政治を目指すと本末転倒となり、有権者から相手にされなくなるという現実に目を向ける必要があると言えるのではないでしょうか。