“植物由来の肉もどき” への参入ブームが日本にも上陸、食品メーカーが該当製品の販売を開始する

 NHK によりますと、伊藤ハムや日本ハムが “植物由来肉” の販売を来月から本格化させるとのことです。

 “植物由来肉” と銘打っていますが、『肉製品』ではありません。実際は “植物由来の肉もどき” ですから、景品表示での紛らわしさを解消する必要があるはずです。

 「過激な菜食主義のビーガンに寄り添った製品がどれだけ一般市場に受け入れられるか」は今後明らかになるため、売上高の推移が日本を含めた世界市場での注目点と言えるでしょう。

 

 健康志向の高まりを受け、国内の食品メーカーでは肉を使わずに野菜などで作った“植物由来肉”への参入が相次いでいます。

 このうち伊藤ハムは肉を使わずに大豆のたんぱく質を主な原料として作った“植物由来肉”のカツや肉だんご、ハンバーグなど8種類の商品を来月発売します。伊藤ハムが業務用ではなく、家庭用に“植物由来肉”を販売するのは初めてです。

 (中略)

 このほか、日本ハムも肉を使わずに大豆やこんにゃくで作ったソーセージやハムなど5種類の商品を来月家庭用に発売し、年間で5億円の売上を目指すとしています。

 アメリカではシリコンバレーの新興企業や最大手の食肉会社が”植物由来肉”の市場に参入し、健康志向の高まりを受けて大手チェーン各社がハンバーガーに採用するなど、世界的に関心が高まっていて、国内でも広がるか注目されます。

 

“植物由来の肉もどき” は「ビーガン版のハラール商品」

 “植物由来の偽肉” 世間で注目されたのは「菜食主義者のビーガンが過激な活動を展開しているから」です。ベジタリアンは肉や魚を食べない菜食主義者ですが、ビーガンは「食品に一切の動物由来成分を禁じる」というレベルです。

 ですから、ビーガンの場合は卵・乳製品・はちみつ等はダブーとなります。

 これを個人でやるのであれば、「ご自由に」という人が多いでしょう。なぜなら、日本の精進料理のような形を個人が選択すれば良いからです。

 しかし、一部の過激派は『菜食主義』を全体に押し付けようとする活動を展開しています。「肉を食べるな」と要求するだけでは猛反発を受けるのは自明です。それを避けるためには代替案が必要であり、そのための選択肢の1つが “植物由来肉” なのです。

 曰く付きの商品が世間に受け入れられるかは不透明と言わざるを得ないでしょう。

 

投資を呼び込みたいウォール街などの金融界は『植物由来肉』を「有望」と評価する

 菜食主義者などが猛プッシュする “植物由来の肉もどき” ですが、いくつかの問題を抱えています。そのため、注意することが必要でしょう。

 まず、「肉食を止めろ」と主張する菜食主義ですが、これは欺瞞です。“植物由来肉” の原料となる大豆を守るために、生産農家は “大豆畑を荒らす野生動物” を駆除しているからです。この現実があるのですから、菜食主義を押し付けるのは偽善と言えるでしょう。

 次に、世界的な注目がある理由は「金融界が投資マネーを呼び込みたいから」です。

 ウォール街などの金融界は「資金が動くこと」で収益を得ます。だから、『反原発・再生エネ絶賛』の旗振りと扇動役を担っているのです。そうすることで資金を「原発から再生エネ」へと動かせますし、自分たちは儲けを得られるからです。

 “植物由来の肉もどき” も同じです。既存の食品メーカーに『肉製品』に投じている資金を『植物由来肉』へと配分変更させることで儲けたいから、発言力のあるセレブなどを持ち上げて世論作りに勤しんでいるのです。

 この動きに流されると、本業に支障が生じる本末転倒となるだけに注意が必要と言えるでしょう。

 

選択肢として “植物由来の肉もどき” は存在しても良いが、強制されるのは真っ平御免

 世に言う『代用肉』が主流になることはないでしょう。なぜなら、代替品であるため、オリジナルを超える魅力は備わっていないからです。

 代替品の立場でオリジナルを超えるのは「価格競争力が備わっている場合」ですが、“植物由来肉” の原料である大豆を工場で大量生産できない限り、現実的ではありません。また、栄養価の点からも『既存の大豆製品』で摂取できるため、肉のように成形する合理的な理由は見当たりません。

 現状では “植物由来肉” は「ビーガンの自己満足を満たすための商品」に過ぎないと言わざるを得ないでしょう。

 “火力発電によるバックアップが不可避なことを無視して太陽光発電の普及を訴える環境団体” と同じぐらい、“植物由来肉への置き換えを要求する菜食主義団体” は滑稽なのです。

 菜食主義の方が健康で文化的な生活を低いコスト負担で実現できるなら、強制する必要はありません。菜食主義という “お得な選択肢” の存在を知った人が自発的にシフトするからです。それが起きていないという現実をシビアに見る必要があると言えるのではないでしょうか。