「たかが電気」と揶揄した坂本龍一氏や “米国籍の” 水原希子氏が『音楽業界への助成金』を求める旗振りをするのはマイナス

 新型コロナウイルスによる客足離れと自粛によって影響を受けている音楽業界への助成金を求める署名キャンペーンを坂本龍一氏や水原希子氏が呼びかけています。

画像:助成金を求める署名キャンペーンを訴える水原希子氏のツイート

 ただ、この運動は逆効果が強く現れるでしょう。「たかが電気」と揶揄した坂本龍一氏が支援を訴えても「たかがライブ(or アート」と批判されるのは目に見えています

 「経済より命」と反原発キャンペーンを推し進めたのですから、同じ理由を基に「新型コロナウイルスから国民の命を守るために音楽業界が辛酸を嘗めなければならない番だ」と言われても文句は言えないでしょう。

 

娯楽やエンターテイメント産業は『整備された公共インフラ』の上に成立するもの

 自らが関係する産業にプライドを持つことは素晴らしいことです。製造業でも、サービス産業でも、娯楽・エンターテイメントでも同じでしょう。

 ただ、社会における重要度が異なることに留意する必要があります。

 電気・ガス・水道を始めとする『公共事業』が滞りなく提供されることが可能な地域であることは大前提です。このカテゴリーには警察・消防・病院なども含まれます。

 これらが整った後>衣・食・住のニーズが生まれ、その後に娯楽・エンターテイメントへの欲求が強まります

 現状は新型コロナウイルスの感染拡大によって社会基盤である病院機能が崩壊するリスクに直面しているのですから、娯楽・エンターテイメント産業への助成金に世間が理解を示す可能性は低いと言わざるを得ないでしょう。

 

「助成金への賛同の署名」ではなく、欧米圏では “当たり前” の寄付をすべきでは?

 ニューヨークに活動拠点を置く坂本龍一氏や韓国系アメリカ人の水原希子氏が「音楽業界への助成金」を求める署名キャンペーンをしても反感を引き起こすだけです。

 両者とも(業界内でも)高収入を得ている著名人ですが、寄付文化の根付いているアメリカとの関わりが大きいにも関わらず、「寄付」という行為に出ている様子はありません。これは非常に残念なことです。

 公共性が少ないために高収入を得られる芸能界での成功者が寄付で手本を示さず、国に助成金を陳情しているのです。『和牛券』や『お魚券』でマスコミが嘲笑した農林水産業と要望していることは変わりません。

 関係者が音楽業界やアート界を「特別扱い」していることと同様の特別待遇を世間に求めたところで、同じように新型コロナウイルスで苦しむ世間一般を差し置いて優遇することに理解を得ることは困難を極めることになるでしょう。

 

「たかが音楽(アート)」、「経済より命」という価値観が『エンターテイメント業界』にも直撃したに過ぎない

 エンターテイメント業界への風当たりは少なくともしばらくは強いままでしょう。なぜなら、以下のような横暴な態度を示しているからです。

  • 新型コロナウイルスの蔓延に関係なく、自由に公演・興行・営業をさせろ
  • 自粛を要請するなら収入を補填せよ
  • (感染拡大を引き起こしても責任は負わない)

 反原発派の坂本龍一氏は「たかが電気」と揶揄。また、「経済(≒ 金)より命」と訴えて日本国内の電気代高騰の一因を作りました。

 今回の新型コロナでは(現在も反原発・再生エネ礼賛の影響で)高額な電気代を負担させられている界隈から「たかが音楽・アート」、「経済より命」と強烈な “報復” を受けることになるでしょう。

 「『金(= 経済)より命』と言ってたな。有言実行してお前ら音楽・アート業界も辛酸を嘗めろよ」と言われるのは避けられません。「ライブハウスを閉鎖して融資を申し込む」という方法を採らず、“抜け駆け” による特別待遇を要求しては自粛による不満を溜めている人々の怒りを買うだけです。

 

 『コミケ中止』の報道でコンテンツ制作者を「カタログ購入」などの形で支援に乗り出した業界もあるのです。

 音楽・アート界隈も「コンテンツ制作」という点では同じですから、支援策が「国からの助成金しかない」という状況は起こり得ないことです。もし、助成金しかアイデアが思いつかないのなら、音楽・アート業界は遅かれ早かれ潰れることでしょう。

 「将来のロイヤリティー顧客層」からの支援策を引き出すための “コンテンツ” を作り出せないコンテンツ業界に補助金や助成金を投入することはナンセンスと言わざるを得ないのではないでしょうか。