メルケル、ベルリン議会選挙での敗北を受け難民政策が誤りであったことを認める

 ドイツ・ベルリンで行われた市議会選挙でメルケル首相率いる『キリスト教民主同盟』は第2党は維持したものの、戦後最低の得票率となり、難民流入への対応が不十分であったことをメルケル首相が認めたとNHKが報じています。

 

 メルケル首相は選挙から一夜明けた19日、ベルリンの党本部で会見し、難民政策について「もし時間を戻せるなら政府としてもっとうまく対応できるよう準備をしていた」と述べ、去年100万人を超えた大量の難民流入に政府が十分対応できなかったことを認めました。

 ただ、メルケル首相は難民を積極的に受け入れたことは間違っていなかったとして政策を大きくは見直さず、引き続き治安対策や難民のドイツ社会への統合に力を入れる考えを示しました。

 

 具体的な対応策を何も提示していないにも関わらず、人気取りで「難民歓迎」のパフォーマンスを行ったのです。どれだけキレイゴトを述べたとしても、肝心の選挙で敗れては本末転倒と言えるでしょう。

 ドイツの採るべき対応はどういったものが理想だったのか。

 それは “ドイツが難民と定義する人物のみを受け入れること” に他ありません。しかし、現実には「難民と名乗る人は誰でもドイツは歓迎する」という間違ったメッセージを送っていたのです。これでは豊かな生活を求める経済移民が自称・難民としてドイツに大挙することになるのは当然のことです。

 

 責任を負う立場にいる政治家にとって、受け入れ能力を上回る難民を呼び寄せる政策をすることは政治生命が終了するリスクが伴います。そのことを理解し、現実的な対応を採れるリーダーが現代では求められていると言えるでしょう。

 ヨーロッパ中で難民受け入れに失敗している中、それでも「難民を歓迎すべき」と主張する人たちもいます。政権を担わない野党の政治家やジャーナリストが代表例です。

 両者に共通することはどちらも責任を負わない立場にいるということです。リベラルを主張する野党であれば、ポリティカルコレクトネスに沿った “キレイゴト” を主張したとしても社会に及ぼした影響に対する責任を負う必要はありません。メディアについても同様です。

 その代表例が『週プレ外国人記者クラブ』に掲載されたデイビッド・マックニール氏のコラム記事でしょう。

 

 マックニール氏は「日本は難民を受け入れて、世界から尊敬される国になれ」と主張していた過去がありますが、彼の出身地であるヨーロッパでは難民は歓迎される対象とはなっていません。

 マックニール氏のようなジャーナリストは「なぜ、移民排斥や反EUを訴える “極右政党” がヨーロッパ各国中で支持を拡大しているのか」ということを突き詰める必要があるでしょう。彼らが言う「世界の流れと逆行する」などという主張こそ、時代遅れで滑稽な内容と化しているからです。

 人口減による経済衰退を移民で補うという主張を根底に持っているようですが、それは皮算用に過ぎません。移民は受け入れ国の国民とは育った背景が異なります。つまり、稼ぐ力が国民と同等だと見積もったとしても、文化・価値観の違いから生じる摩擦は必然的に起きるものであり、自国民より稼ぐ力がないと差し引きでマイナスとなってしまうのです。

 ましてや、難民となると移民よりも稼ぐ力を有していない人物の方が多くなるでしょう。それを「難民が自立するまで、国民の税金で面倒を見よう」と主張できる政治家やメディアがいるでしょうか。

 ほとんどの場合は「人道的支援をすべきだ」と表面的なキレイゴトを述べるだけで、「難民を自立させるにはどういったプロセスを想定するのか」「そのために必要となる費用はどのぐらいか」「予算の確保はどうするのか」といった重要部分に言及することはありません。

 

 そもそも、マックニール氏が「難民受け入れ」を訴えるべき国は彼の母国アイルランドであり、雇用主が本社を置くイギリスでしょう。

 "PIIGS" の1国として経済が世界中で不安視されている母国に難民受け入れを訴えるべきです。難民パワーで「テロとU2の国」と揶揄された時代は過ぎ去ったと言われるようにすべきと主張してはいかがでしょうか。

 また、イギリスもEU離脱へと舵を切ったのですから、経済政策が重要であることは明らかです。「難民受け入れによってイギリス国内市場を大きくし、“難民受け入れ成功国” として世界中にアピールする絶好の機会だ」と寄稿しなければなりません。

 そうした記事をマックニール氏が1本を書いていないのですから、彼は日本を実験場として使いたいだけなのでしょう。責任を負う立場にいない人物が主張するキレイゴトによる負担を背負うことになるのは地元民であることを忘れてはなりません。