自衛隊による南スーダンでのPKO活動の撤収を決断した安倍首相を批判する資格は民進党など野党には存在しない

 政府は南スーダンで行われている自衛隊の PKO 活動を5月末をめどに撤収させる方針を固めたと NHK が報じています。

 国際貢献を行うことは先進国としての役割と言えるでしょうが、「日本の国益」に大きく関与しない南スーダンでいつまでも PKO 活動を継続する意味はありません。その点においても政府が自衛隊の撤退を決断したことは高く評価されるべきことなのです。

 

 政府は、南スーダンでの国連のPKO活動に派遣している陸上自衛隊の施設部隊について、今の部隊の派遣期間が終了するのにあわせて活動を終え、5月末をめどに撤収させる方針を固めました。これによって、安全保障関連法に基づいて、初めて「駆け付け警護」の任務が付与された自衛隊員およそ350人は撤収することになります。

 (中略)

 南スーダンへの陸上自衛隊の部隊の派遣は、2012年1月に始まり、この5年余りで11の部隊が派遣されています。これまでの部隊は200人から400人の隊員たちで構成され、現在はおよそ350人の隊員が派遣されています。

 派遣された隊員の数は合わせて3800人余りに上っていて、これまでの自衛隊のPKO派遣の中で最も多くなっています。

 

 

野党、特に民進党には南スーダンでの PKO 活動の撤収を批判する資格はない

 自衛隊が南スーダンから撤収することが決定したこともあり、野党は「決断が遅い」などと政府を追求することでしょう。しかし、野党(特に民進党)にその資格はありません。

 なぜなら、自衛隊を南スーダンに PKO 活動という名目で派遣したのは民進党だからです。

 2012年1月は野田政権(当時:民主党)です。菅政権の時から検討を始め、野田政権で派遣を決定しました。

 “ほぼ丸腰” で南スーダンに自衛隊を派遣するという決断を自分たちで下しておきながら、「危険になったから撤退となった」となどと自民党・安倍政権を批判する資格は民進党など野党には存在しないのです。

 「民進党は民主党とは違う」と議員が発言していますが、民進党は民主党が得た政党助成金をそのまま引き継いでいます。資金的に “継続する政党” なのですから、「別政党である」という主張は言い訳にはならないのです。

 

「危険になったから撤退した」と主張する民進党の問題点

 「撤退の判断が遅い」などと民進党は無責任に主張することでしょう。しかし、この主張内容が説得力を持たなくなる反論が存在します。

 それは野田政権時代に防衛大臣を務めた田中直紀氏、森本敏氏が南スーダンを訪問するなどの行動を起こしていないからです。

 ゴラン高原派遣については “シリア騒乱” を理由に森本大臣が撤収を命令しているのです。撤収の判断基準は与党だった民進党は知っているはずなのですから、「その判断基準と比較しても、南スーダンは同様に危険だった」と根拠を提示できなければ、説得力がないと言えるでしょう。

 「民主党時代の防衛大臣は南スーダンを訪問していたが、自民党ではしていない」というのであれば、南スーダンの情勢は良いとは言えないと世間は見るでしょう。実際は逆なのですから、言いがかりを付けているに過ぎないのです。

 

身を守るための武器使用に厳しい制限を設けた民進党が「自衛隊の身の安全」に対して講釈を述べるな

 野党が厳しい批判を受ける要素は「危険が伴う地域に自衛隊を派遣したことを自覚しているにもかかわらず、身を守るための武器使用を認めようとはしないこと」と言えるでしょう。

 テロリストや武装組織が自衛隊を攻撃対象から外すというようなことはあり得ません。“地元政府が主導するプロジェクトに協力する勢力” と見なされる訳ですから、攻撃の対象となる可能性の方が現実的に存在するのです。

 「攻撃を受ければ、反撃する」ことが分かっていれば、返り討ちにあうリスクがあるため、闇雲に手を出す組織はありません。しかし、反撃してこないが装備品が充実している組織は格好の略奪対象と言えるでしょう。いざという時に武器使用ができない状況下で “国際貢献” を強いることは送り出した政治家のエゴ以外の何物でもないです。

 情勢が一変する可能性を考慮せず、丸腰に近い状態で PKO 活動による派遣を決定したことは民進党の責任です。活動の目安を定めず、“国際貢献” という曖昧な形で物事を進めた責任を党として取る必要があると言えるはずです。

 

「撤収の判断が遅い」というなら、朝鮮半島有事の議論を国会で行うべき

 PKO 活動を行っている自衛隊を南スーダンから撤収させる決断が遅いと野党や一部メディアは批判するでしょう。それなら、「朝鮮半島有事の際に日本はどう対応すべきか」という議題で国会討論を行うべきです。

 有事が起きれば、難民が日本に押し寄せることは十分に想定されます。「受け入れてから考えよう」などと甘い考えであれば、ヨーロッパで起きていた混乱が日本でも生じることになるでしょう。

 在日が “遠隔地ナショナリズム” を起こし、日本人が配慮という形で我慢を強いられている現状ですが、ミサイルなど攻撃対象とされた挙句、難民の面倒まで押し付けられると我慢の限度を超えることは明らかになることが予想されるのです。

 外国人難民を生活保護という形で日本人が納めた税金で養われることになる可能性が極めて高いのです。日本人の生活を蔑ろにしてまで、難民の受け入れを優先する必要性があるのか。限度をどう設定するのかを事前に議論し、法体系などを整備しておくことが政治家に求められることなのではないでしょうか。