既存のメディアは『DeNA のまとめサイト問題』を他山の石とすべき

 「まとめ記事サイト」の問題で営利優先に走り、著作権侵害などの問題があったとする第三者委員会の調査報告が発表されたと NHK が伝えています。

 DeNA などのネット企業が問題を起こした当事者として批判されていますが、同様の問題を起こす土壌は既存メディアでに存在するのです。この件を “他山の石” とできるかが焦点と言えるでしょう。

 

 守安社長は「事業にとって最も重要な利用者への貢献が優先されていなかった。メディアとして求められる理解が不十分だった。ご迷惑をおかけした皆様に深くおわび申し上げる」と述べ、陳謝しました。

 そのうえで、「従来から企業文化として“挑戦”を重視して運営してきたが、管理体制や法令順守の徹底が足りていなかった。会社としての変革が必要だ」と述べました。

 (中略)

 「まとめサイトを運営する会社は、メディアとしての責任を持ち、金もうけ重視ではなく、正確で有益な情報を出せる体制を作るべきだ。また、利用者は検索結果を信用しすぎず、サイトや会社、メディアの単位で信用度を見極めることが重要だ」と話しています。

 

 引用部の末尾に掲載された見解は IT ジャーナリスト、三上洋氏が本件に寄せたものです。

 「まとめサイト」を「既存の報道機関」と置き換えても同じことが言えるでしょう。“有益な情報” を出すことより、“自社のイデオロギーに合致する情報・論説” を出すことに注力し、信用度を落としていることが昨今の実状だからです。

 

 DeNA がまとめサイトで問題を起こした原因は「法務部が問題視した内容が “挑戦” を理由に退けられたこと」と言えるでしょう。

 ベンチャーマインドで見逃されるのは “グレーゾーンの行為” だけです。上場企業であるなら、株主を裏切ることはご法度であり、市場(=世間)に審判を下される立場にあるのです。企業倫理の基本的な考え方なのですが、DeNA にはそうした価値観は根付いていなかったのだと思われます。

 少人数のスタートアップ企業でも法に違反することは厳しい批判を受けて当然です。IT 業界の大企業が儲けを出すだめに不正行為に平然と手を染めていたことは問題はかなり深刻と見なさなければなりません。

 

 今後の対応として以下のプレスリリースを発表していますが、事業責任者を解任しないようでは DeNA の将来は厳しいと思われます。

 執行役員メディア統括部長兼Palette事業推進統括部長村田マリにつきましては、就業規則に基づく処分を行いました。また、3月12日に当社執行役員並びに子会社iemo株式会社の取締役(代表取締役)及び株式会社Find Travelの取締役(代表取締役)を辞任する意向を表明しております。

 シンガポールに居住する村田マリ氏が DeNA 傘下のまとめサイトを統括する立場にあったのですが、問題発覚以降は雲隠れをしたままです。

 DeNA に10億円超で “問題のあるサイト” を売却することに成功し、所得税の低いシンガポールでの悠々自適の生活がある訳ですから、まさに「逃げるが勝ち」の状態です。違法行為を行った事業の統括責任者を野放し、守り続ける理由を見つけることは難しいと言えるでしょう。

 

 「ネットはメディアとしての責任意識が希薄」という論説が既存のマスコミから出ていますが、営利企業で必ずしも有益な情報を出していないのは既存メディアも同じです。

 新聞の一面で書いた特注記事に間違いがあっても、小さな記事で訂正を示すだけです。「なぜ、誤報・捏造が生じたのか」という点で検証を行わない報道機関がネットの信憑性を疑問視したところで説得力はないと言えるでしょう。

 テレビについてもレッテル貼りと言える内容は日常的に行われており、間違いが指摘されたとしても、アナウンサーが “お詫び” を口にするだけで検証が行われることはありません。

 まだ、様々な人が様々な角度から自由に検証を行うことができ、情報を発信できるネットの方が物事を多角的に見ることが可能なのです。この点を甘く見ていると、既存メディアが信頼を失うことが加速することになるでしょう。

 

 マスコミが取材を行った “一次情報源” にさえ、ネット経由でアクセスすることが場合によっては可能となりました。

 新聞は「紙面版のまとめサイト」に過ぎず、テレビは「まとめサイトの中継映像」に過ぎないということを自覚しなければなりません。ゼロから独自コンテンツを作っていれば、コピペやパクリによる著作権侵害の可能性は低くなるでしょう。

 しかし、(営利企業として)儲けを優先する体質は「まとめサイト」と変わりませんし、正確で有益な情報を出す体制が維持されているかは不透明であることは否定できないのです。

 『まとめサイトの問題』を “他山の石” とできるメディアはマスコミ不振が叫ばれる先進国でも生き残ることができるでしょう。自分たちを特別な存在だと勘違いしたマスコミに突然死が訪れたとしても、誰も驚かないのではないでしょうか。