反差別を訴える界隈の暴力行為を黙認するのはマスコミ業界では世界共通のようだ

 アメリカ・バージニア州シャーロッツビルで起きた政治的姿勢が異なる勢力同士が衝突した事件で朝日新聞が「トランプ氏、差別容認か」と報じています。

 反差別を主張する界隈による暴力行為を容認することはマスコミ業界のスタンダードなのでしょう。日本でも見られた “悪しき事例” がアメリカでも確認できたことを意味しているからです。

 

 米バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義団体と反対派が衝突した事件で、トランプ米大統領は15日、「両者に非がある」と述べた。人種差別を容認するかのような発言で、批判が強まるのは必至だ。トランプ氏は事件後、白人至上主義団体を非難しなかったことで反発を受け、前日に「人種差別は悪だ」などと述べて、沈静化を図ったばかりだった。

 

 『善と悪』のような対立構図を描きたがるマスコミは事態を単純化したがる傾向にあります。その上、リベラルが『善』と見えるように “角度を付ける” 訳ですから、反発を招くことになるのです。

 政治的主張に関係なく、法律に触れる行為は同じ判断基準で批判されなければなりません。リベラルだけ “お目こぼし” される方がおかしいことと言えるでしょう。

 

1:衝突の構図とマスコミ報道

画像:シャーロッツビルでの衝突に対するマスコミ報道

 

2:双方ともに批判されるべき要素がある

 シャーロッツビルで起きた衝突ですが、双方ともに批判されるべき要素を持っています。一方のみが批判されないという状況は明らかなダブルスタンダードです。

 右派サイドは「白人至上主義」や「ネオナチ」という差別主義が批判されるべき要素です。また、車で群衆に突入した行為もテロとして批判されなければなりません。

 しかし、「銅像保護を求めるデモ活動の許可を得た右派の活動」に批判される要素はないのです。もし、批判するのであれば、それこそ民主主義の根幹を揺るがす行為をしていると言えるでしょう。

 左派サイドには「銅像保護を求めるでも活動に反対する権利」が存在します。ただし、無許可でカウンターのデモ活動を行っている時点で活動手法に疑問符が付く行為と言えます。

 その中から暴力行為をしたり、銅像を破壊するという輩が現れたのです。このような人物は批判されて当然でしょう。「両方に非がある」との発言が許されないなら、「傷害や器物損壊という犯罪に手を染めた反差別界隈の人物を批判していけない」と主張していることになるのです。

 

3:「差別主義 vs 反差別を訴える人々」の構図を強調するメディア

 日本国内でも見られた構図をリベラルメディアが世界中でやっているにすぎません。似た者同士が互いに罵り合い、暴力を振るっている状況が起きているからです。

  • 日本人、アメリカ人、白人といった属性しか誇れる点を持たない人物の界隈
  • 反差別という思想しか誇れる点を持たない人物の界隈

 要するに、どちらも差別主義者なのです。「自分たちが持つ『属性』しか認めない」ことも、「自分たちが掲げる『思想・価値観』しか認めない」ことも差別と言えるでしょう。

 そのような差別主義者の中で “好戦的な人物” が暴力沙汰を引き起こし、どちらも一般層から嫌悪される結果を招くのです。これを「差別主義 vs 反差別を訴える人々」という構図でマスコミが報じたところで、ネット社会では矛盾点が次々に明るみに出ることとなり、メディアの信用が損なわれるという副作用がもたらされているのです。

 

 「反差別無罪」という一方的な主張を展開するマスコミにはジャーナリストを廃業したのでしょう。メディアの無責任な論調に乗っかる形で活動に見を投じていまうと自分自身にツケが回ってくることを覚えておく必要があります。

 煽ったメディアほど逃げ足が速く、責任を取らずにキレイゴトを展開するからです。犯罪行為を批判できないメディアにできることは機関紙としての役割ぐらいしか残されていないということを自覚すべきと言えるのではないでしょうか。