イギリス・ケンブリッジ大学の論文アクセス遮断騒動は「金がなければ、言論の自由を守れない」ことを示している

 ケンブリッジ大学出版局が中国当局からの要請で天安門事件やチベットに関連する論文への中国からのアクセスを遮断する措置を実施したとの声明を発表したと日経新聞が伝えています。

 「言論の自由」はタダと思っている人は考えを改めるべきでしょう。なぜなら、ケンブリッジ大がアクセス遮断に踏み切った理由は「中国市場での売り上げを確保するため」という現実的な部分が指摘されているからです。

 

 英ケンブリッジ大出版局は20日までに、同出版局の中国研究誌「チャイナ・クオータリー」のサイトに掲載された天安門事件やチベット関連の論文などについて、中国当局の要請を受けて中国国内からのアクセスを遮断する措置をとったと声明で明らかにした。英メディアによると、対象は300点以上に上るという。

 (中略)

 同出版局の声明は、他の論文などが中国国内で利用し続けられるようにするためと説明した。

 英紙フィナンシャル・タイムズによると、同出版局は中国での英語教材の販売が好調で、5年連続で売り上げが前年比2桁の伸びを記録している。

 

 『平和』や『〇〇の自由』がタダではないことが如実に示された例と言えるでしょう。自由を守るために必要なコストを確保できなれば、自由を切り売りせざるを得なくなるということが示されたからです。

 どれほど優れた理念があったとしても、運営資金が底をついた時点で活動はできなくなります。このことは覚えておいて損はないと言えるはずです。

 

1:ケンブリッジ大・中国研究開発の教授職は中国共産党と関係深い

 ケンブリッジ大学が中国と “ただならぬ関係” と指摘されるのは今回が初めてではありません。2014年6月の時点でテレグラフ紙に「中国研究開発の教授職に多額の寄付があった」と報じられているからです。

 A charity that gave £3.7 million to Cambridge University to endow a professorship for Chinese development studies is run by members of the family of the country's former prime minister, Wen Jiabao, according to a well-placed source in Beijing.

 370万ポンド(2017年8月22日の為替レートで約5億2000万円)の寄付がケンブリッジ大・中国研究開発の教授職にあった。寄付をしたのは財団であるが、その財団の実質的な経営者は温家宝・前首相の娘である温如春氏と記事で言及されています。

 「中国政府からの意向を受けることはない」と当時は弁解していましたが、その結果がどうだったかは自明と言えるでしょう。

 

2:自由を守るためにはコスト(=金)が必要となる

 “自由” を守るためにはコストがかかります。それは「民主主義に基づく自由」であっても、「学問の自由」であっても同じことです。

 ケンブリッジ大のケースは「他の論文などが中国国内で利用し続けられるようにするため」と説明していますが、5年連続で前年比プラス2桁の伸びを記録していることから、中国市場が重要な収入源になっていると言えるでしょう。

 つまり、「中国当局の意向に反して、重要な収入源を失いたくない」という金銭的な理由が「学問の自由」に優ったということなのです。

 中国市場頼りの収益構造でなければ、中国当局の意向を気にすることもなかったでしょう。しかし、現実には中国からのアクセスを遮断したと発表しました。それだけ金が占めるウエイトは大きいと言えるでしょう。

 ただ、今回はケンブリッジ大学が発表したから騒動が起きたのであり、守秘義務契約を締結するなどをした上で水面下でアクセスの遮断に踏み切っていれば表沙汰になっていなかったはずです。同様の “圧力” は他の大学でも起きていると見ておく必要があるでしょう。

 

3:日本ではやたらと「平和・反戦」を訴える大学・研究室が怪しい

 上述の観点で述べると、日本では「平和」や「反戦」を声高に叫び、国防に関係する研究などを妨害する動きを積極的にしている大学・研究室が最も怪しいと言えるでしょう。

 「平和」や「反戦」の研究資金を “寄付” という形で集め、その成果をマスコミが大々的に報じていたとしても何ら不思議ではないからです。文科省の官僚についても、平和研究センターという形で手垢にまみれた団体を事前に用意し、定年後のポストを約束すると匂わせれば研究費の配分を偏らせることに手を染める輩も現れるはずです。

 性善説で対応するのではなく、性悪説に基づく対処が必要な時代になっていると言えるでしょう。手放した自由を取り戻すには大きな労力と資金が不可欠になることを強く認識しておく必要があると言えるのではないでしょうか。