朝日新聞、『裁量労働制』と『過労自殺・過労死』という独立事象をあたかも因果関係があるかのように報じる

 朝日新聞が3月4日付の記事で「裁量労働制を違法適用していた会社で過労自殺があった」と報じています。安倍政権の『働き方改革』を批判する内容となっているのですが、因果関係がないため、論理的におかしい記事となっている状況です。

 

■ 朝日新聞が報じた記事

 朝日新聞は贄川俊記者と千葉卓朗記者の連名で、以下の記事を3月4日付で報じました。

画像:朝日新聞が報じた記事

 裁量労働制を全社的に違法に適用し、昨年末に厚生労働省東京労働局から特別指導を受けた不動産大手、野村不動産(東京)の50代の男性社員が過労自殺し、労災を認定されていたことがわかった。

  1. 野村不動産が『裁量労働制』を全社的に違法適用
  2. 50代の男性社員が過労自殺
  3. 労災を認定されていた

 朝日新聞は「裁量労働制で過労死が起きた」というストーリーで安倍政権が進めようとしている『働き方改革』に異議を申し立てたいのでしょう。しかし、『裁量労働制』と『過労死・過労自殺』の因果関係を導けないのですから、無理があるのです。

 

■ 事実

1:『裁量労働制』と『過労死・過労自殺』は独立した事象

 まず、『裁量労働制』と『過労死・過労自殺』は独立した事象です。朝日新聞は “互いに独立し、因果関係のない事象” を2つ持ち出し、自らの政治的主張を裏付ける記事として利用しているに過ぎません。

 野村不動産が「『裁量労働制』を全社的に違法に導入したこと」は会社側の責任(=不法行為)であり、この行為は単独で罰せられる必要のある代物なのです。

 例えば、賃金未払いが発生した際、「裁量労働制が悪い」と批判する人はいないでしょう。これは『給与の支払い』と『裁量労働制』に因果関係が存在しないからです。

 ところが、朝日新聞は「(違法に適用された)『裁量労働制』が過労自殺を招き、労災が認定された」と主張しています。この主張が正しいのであれば、『従来型の労働体系』や『合法的に導入された裁量労働制』の下では過労死や過労自殺はゼロでなければなりません。

 つまり、この時点で朝日新聞の主張は論理的におかしいと言えるです。

 

2:朝日新聞の主張内容では「NHK の女性記者のケース」を説明できない

 「2013年7月にNHK の女性記者(当時31歳)が過重労働が原因の心不全で死亡し、後に労災が認められた」という出来事が発生しました。

 NHK の記者は『裁量労働制』で働いており、導入も合法的に行われています。そのため、「『裁量労働制』を諸悪の根元」という形で『働き方改革』を批判したい朝日新聞の思惑とはズレが生じているのです。

 なぜなら、過労死や過労自殺の原因は『制度・体系』ではなく、『企業側の運用手法』であることがほとんどだからです。

 拘束時間が基本となっている現行の賃金体系でも過剰労働の問題は生じています。したがって、長時間労働を是正するための『働き方改革』は絶対にやる必要のあるものと言えるでしょう。

 

3:現行の労働体系下で「長時間労働の是正勧告」を受けた朝日新聞

 朝日新聞は「裁量労働制が長時間労働の温床となる」とのキャンペーンを展開しようとしていますが、偽善的なものに過ぎません。なぜなら、裁量労働制が導入されている朝日新聞が不正行為に手を染め、労基から是正勧告を受けたことがあるからです。

 同社広報部によると、財務部門に勤務する20代の男性社員は今年3月、法定時間外労働が85時間20分で、労使協定による規定を4時間20分上回った。年度末の予算や決算に関係する作業で超過したという。

 (中略)

 また、同社は、裁量労働制を導入している編集部門の管理職が部下の記者が申告した今年3、4月の出退勤時間の記録を本人に確認しないまま短く書き換えていたと明らかにした。

 朝日新聞が『裁量労働制』を批判したいなら、自社編集部門の管理職が手を染めた不正行為を例に出せば良いことです。

 『裁量労働制』では勤務時間に対する制約はありません。しかし、対象者の勤務時間を把握することは必須です。これは「長時間労働に陥っていないか」をチェックする目的で導入・運用されていることは明らかです。

 なぜなら、朝日新聞では上司が(裁量労働制が適用されている)部下の勤務時間を短くなるよう改ざんしたからです。

 「この手の不正がすでに発生している。そうした運用がされても、会社への罰則は皆無に等しい状況では『働き方改革』による効果は見込めない」と批判することが正攻法に基づくキャンペーンと言えるでしょう。

 

 『裁量労働制』が過労死や過労自殺を招くのであれば、上司が『裁量労働制』で働く部下の勤務時間を改ざんするような朝日新聞では過労死・過労自殺がすでに発生していることでしょう。現実はそうではない訳ですから、論理的におかしい内容の批判は止める必要があると言えるのではないでしょうか。