朝日新聞の論説委員が紙面上で “公開いじめ” をするぐらいだから、社会から「いじめ問題」がなくならないのだ

 朝日新聞が5月19日付のコラム『素粒子』で “からかい” を行っています。

 「からかい」という言葉で表現すると、マイルドな印象がありますが、実態は “いじめ” と同じです。立派な肩書きを持つ大人が率先してイジメを煽る訳ですから、極めて重大な問題と言えるでしょう。

 

朝日新聞が『素粒子』報じた記事

 朝日新聞は夕刊コラム『素粒子』の5月19日付の記事で以下のように報じました。

画像:『素粒子』(5月19日付)

 麻生大臣の名前を使った “からかい記事” を掲載したのです。この手の記事を掲載することを容認した朝日新聞に「社会問題」を論じる資格はありません。

 それだけ大きな問題なのです。

 

“からかい” にお墨付きを与えると「いじめ問題」が深刻化する

 朝日新聞は「記事は社会風刺であり、問題ない」というスタンスを採るでしょう。しかし、“からかい” を『大人』が容認してしまうと、子供たちに Go サインを出したことと同じ意味を持つことになるのです。

 いじめは実際に発生していますし、朝日新聞も記事にしています。

 入学して間もない5月ごろから、息子は同級生らの悪口やからかいを苦に、登校や部活を嫌がるようになった。7月には「学校に行きたくない」と自室のドアを家具でふさぎ、学校を1週間ほど休んだ。母親(44)は学校に相談。生徒指導のための臨時学年集会が開かれた。登校を再開した息子は、同級生から「チクった」と言われた。合唱の練習では、歌に息子の名前と同じ歌詞が出てくるたびに笑われた。

 夏休み明けに母親が再び学校に相談すると、息子は怒った。「言わないでって言ったでしょ。言ったって何も変わらない」。その約2週間後に亡くなった。

 担任(当時)の「いじめとは捉えていなかった。今でもそう思っている」との認識が示された答弁に朝日新聞は否定的な見解を持っていることでしょう。

 ですが、『素粒子』を執筆した論説委員の認識はこの担任の教諭と同じなのです。つまり、朝日新聞が紙面上で「風刺や皮肉を目的とする “からかい” はOK」とお墨付きを与えたのです。

 今後、いじめ問題の加害者とされる側が「朝日新聞が風刺や皮肉を目的とする “からかい” を容認するコラムを書いていたから、同じことをしただけ」と開き直る理由をプレゼントするという行為はクオリティーペーパーとして自重しなければならないことなのです。

 

『素粒子』の執筆者は坪井ゆづる氏と恵村順一郎氏

 いじめを助長するコラム『素粒子』の執筆者ですが、「坪井ゆづる氏と恵村順一郎氏が担当している」と朝日新聞が発表しています。ただ、署名記事ではないため、どちらの論説委員が執筆したのかを特定することは困難です。

画像:朝日新聞の記事
  • 坪井ゆづる氏:安倍首相から「朝日は八田氏や加戸氏の報道をほとんどしていない」と指摘され、大恥をかく
  • 恵村順一郎氏:『報道ステーション』のコメンテーター

 両者とも「動機」を有しています。ぜひ、ウィリアムヒルのようなブックメーカーが「どちらの論説委員が問題の記事を執筆したか」という賭けを日本でも合法として欲しいものです。そうすることで、政治にも “違った意味” で注目が集まることでしょう。

 

 社会風刺や皮肉を理由にすれば、何をやっても容認されるのでしょうか。「いじめられる方にも原因がある」というのは “いじめっ子の論理” です。

 『他者への思いやり』や『良心の呵責』という言葉を理解していない小さな子供がすることは仕方ありません。ですが、「子供は大人の真似をする」のです。お手本として不適切な振る舞いは自重しなければなりません。

 それができるから「クオリティーペーパー」を名乗る資格があると言えるのではないでしょうか。